■とりあえずおつかれさん
今週は割と残念な感じだったけど(風呂歯磨きせず寝るのを何回かした、そして電気つけっぱの細切れ睡眠ばかり)、精一杯生き抜いたぜひゃっほーい!自分とハイタッチィー!
そしてまだ今日がある!!!
聞いて聞いて!
ぼくね、したいことがたくさんあったんだ!
先週からたくさんあったんだ!
“結局できなかったこと”なんかじゃないよ!ただ“今日まで”できなかったことなんだ!
今日がある!今日からがある!
何回死んだようになったって、何回だって生き返るさ!結構得意なんだよね、任せてよ!
■時間や約束を守りたい
学生じゃなくなったから〆切が無くなったんだけど、お絵描き趣味あるから自分で〆切作ったりしてるんだ。
でも守れないんだよなあ。
学生の頃も宿題全然手をつけられなくて、朝起きて泣きそうになりながらやって、「もうしない」なんて思うのを繰り返したなあ。それでどんどん〆切守れなくなって、親に手伝ってもらったり、提出しなくなったり。
悶え苦しんだから自己啓発書を小学生のときから読んだんだなー。
今でも〆切や時間を守れる人と自分は何かが違って、彼らは楽にそれができて、できない側を分かってくれない、なんて思っちゃったりする。
二時間前に着く想定で起床しても、結果は遅刻ギリギリか遅刻で嫌になったことがある。
時間を見たときにちょっとでも時間があるとしていることを続けてしまう。
お仕事でも「まだ時間ある」と思ってギリギリまで作業して、結局チャイムが鳴ってもスッと終われないの繰り返してる…。
時間を守れる人はどういう意識でどういう行動をしてるのかなあ。
死ぬ気で〆切を時間を約束を守る意識が足りないんかなあ。
相手の時間を大切に思う意識が足りないんかなあ。
取捨選択が下手。途中でやめられない、諦められない、最後までやりたくなる完璧主義のきらいがある。行動自体が遅い。無駄が多い。現実逃避している。甘えている。
そういうのありそう。
いい意味で諦めを覚えたい。
時間は有限で、自分は遅くて、遅い分をみんなと同じ時間厳守でどうにかすることを理解したい。
みんなと違い特別に労力を要するような不平等で不満な感覚を、ただの甘えだったのだと知りたい。もしくは真実として諦めて努力したい。
ああ、運任せだったのかもしれないな。
事実の把握が足りない。希望に縋り切っている。
例えば朝起きて寝癖が酷くて、これじゃ恥ずかしいと直そうとする。時間がなくてもこれじゃ行けないと直し続ける。遅刻ギリギリ。嫌な気分。
この時必要なのは「寝癖がつきませんように」「さっさと寝癖が直りますように」っていう希望じゃないんだよな。
「寝癖がなるべくつかないようにする方法」「寝癖を早く直す方法」「寝癖を直すのにかかる時間の把握とそれを考慮した早起き」「朝の無駄がないか見直し排除・改善」とかだよなあ。
正直面倒くせーな。やりたくねーなー。もっと楽にやれるんじゃないか?
って考えちゃうなー。
でもなー、結局やるしかねーんだもんなー。
やらないことは時に危険の回避をしてくれるわけだけど、これはそうじゃないし。やらないで危険にぶち当たり続けてることもたくさんあるからなあ。
「タイムサブミッシブ」という概念を手に入れたので、とりあえず試してみよう。
キリのいい時間で終わろうとするもんな、いつも。終われないんだけど。切り替えられないんだけど。
根拠のあまりない希望は時に有害かもなあ。希望は美しいけど毒でもある感じ。
希望だけを支えにするんじゃなく、自分がやったことも持って立って歩かねば。
決めた時間が来たらどんなに口惜しくても止める行動が欲しいな、自分に。
時間は立ち止まってはくれない。余分にくれたりもしない。甘えても希望を見ても特別はくれない。
うーん、なんかまだ精神論。具体性が足りない。根本的な解決が出されてない感じ。
時間についてはまだまだ考えたいところ。
昔から「遅い」という問題が自分につきまとっているからなあ。
とりあえずは今できることをした(今考えられることを考えた)。
よし、できることをするぞ。
あっ、そういえば時間に縛られるイメージって自分の中であまり良くないんだけど、ルールとかマナーを守るのはどんなに馬鹿にされても良いイメージあるなあ。
時間も同じ括りじゃん。縛られて動けなくなるんじゃない、律してるんだ。律するのはカッコよくて憧れてるやつじゃん。
(2019年 27記事目)