先延ばし癖、現実逃避癖をどうにかしたくてそういう関係の本を最近はよく読んでいます。
で、書いてあることってだいたい被ってるんですよ。
同じ情報を何度も入れることで、少しずつ意識に根付いていくような感覚があります。違う文体で、違う例で、少しずつ理解していくような。
新しい意識を取り入れられる、持っている良い意識を強くさせられる本って、読書っていいなと思いました。
「自己啓発系の本を読むとやる気が出るので良い!」→「結局やらない。結果が出ない。読むだけで満足してしまうなら読まなくていい。ただの意識高い系で恥ずかしい」を経てきて、今はこの考えです。
今読み始めた本の内容が心当たりがありすぎて心にグッサグサ来ましたよ。
私は「最高のコンディション(やる気に満ちており、意識は高く、ちょっとやそっとの苦痛など簡単に跳ね返せる)」で作業に取り組みたいと思いがちです。
だから作業前に意識を変えたくて仕方がありません。まるで漫画での覚醒みたいに、パッとガラッと意識が変わり、すぐさま素晴らしい結果を得るのを待っているような。
でもそれはいつ起こるのか、本当に起こるのか分かりません。起こったこともありません。しかも漫画では修行などがあった上での覚醒です。
なので「最高のコンディション」になることはなく、作業が始まりません。作業は進まず、時間だけが過ぎていき、残るのは気の重い何年もせずに溜めてきた初期状態の作業のみ。
しんどっ!うわ、しんどっ!
「最高のコンディション」を、覚醒をもう待たない。
面倒臭さも恐れも不安もやる気のなさも全部持ちながら、取り組む。本当にその感情は正当なものなのか判断しながら、ただ取り組んでいく。やり終えたいものだから。
こういう考えを前にも得て書いた気がするしこれまで出来てなかったわけだけど、意識が強くなったので良いのです。本を読むと自分の中で良いものが補強されていく。
パッと変われるわけないんです。
自分に向き合い苦しみながら少しずつ進んでいくしかないんです。耐え難い不快感(実際今まで耐えられなかったから先延ばし)に耐え抜くしかないのです。そして良くなったとしても、また元に戻る可能性は消えないのです。でもまた駄目になっても、やった分だけは進むのが上手になっていたり、また這い上がるのに時間が短く済んだりするのです。やった分だけ有用な判断材料を持って改善できます。
あ、あと、行動が悪くても、自分自身が悪いわけじゃないことも意識強くなった。例えば先延ばしする行動は悪くても、自分自身が先延ばしするような悪い駄目な人間と思わなくていい。
あと他人を妬むのは、自分の考え次第だということも。例えばSNSで他人のツイートは反応いっぱい貰っていて、自分のは反応なし。「自分は反応するに値しない人間なんだ」「人とうまく交流できない人間なんだ」と思って落ち込んだり、所詮馴れ合いだと他人を見下したり、そういうのは歪んだ思考なわけです。だって他人が他人のものに反応するのに、自分は関係ないじゃないですか。もし自分が他人がしたことをすごいと思って褒めたときに、別の他人が「それができない自分は駄目な人間ですね…」って反応してきたらめちゃくちゃ困るよね。そんなこと思ってないから。全然関係ないんですよ。
それに「良い」と思う感覚が私は大好きなので、他人が他人に「良い」と思った感覚を自分が変に介入して邪魔したくないなと。実際介入するわけじゃないですよ、自分の中でその「良い」を濁してしまうのが嫌なんです。
私こうやって変われそうな兆候を見せつつも変われてないのがよくあるんですが、それに落ち込んで立ち直るときによく頭に過るのが「絶対に絶対に負けるもんか(諦めない)」って言葉です。
多分少年漫画を見て育ってきたから、「諦めない=かっこいい」や「頑張る=かっこいい」が心に根付いていて、「俺もやってやるぞ!」と奮起できるんじゃないのかなと。
漫画に沢山力や思いを貰ってきたから、漫画大好きです。
今回は作業する上での不快感に耐え抜くためにこの言葉を思い出していこうと思います。
(2018年 32記事目)