自然体の難易度

話していてもとても遠い

何度も自分に言い聞かせることは
「はしゃいではいけない」

そこに横たわる温度差に心が冷えるだけだから

この話題興味なかった?
かなり高い共通の話題だと思ってたんだけどな


いつも最低の出来事を頭の片隅に置く
そうすれば最低限のダメージで済む


私が私のやったことに満足ならそれでいい
誰かの賛同とか評価とか
そんなものはいつも曖昧で不確かだから
振り回されてはいけない

気を付けて何をどんな風に言ったとしても
すれ違いや摩擦は必ず発生するし

いちいち落ち込んでもそのネガティブを非難されるだけ

痛々しいポジティブも正直なネガティブも駄目みたい
自然体が一番とか言うんでしょ?
それがとても難しいんだよね

自己主張のメソッド

みんな傷付いた時の自己主張が凄まじい
あからさまに
言葉で態度で視線でぐいぐい押してくる

かつて
その度にひとり反省会を開いてた私も
相当お人好しだったと思う


自己主張のやり方は実に様々で
いろいろ勉強になったよ

そんな返しをすればいいんだね知らなかったよ、なんて
とても新鮮な気持ちだった、こともあった
皮肉じゃなく
怒りは自分にじゃなく
相手にぶつけるものなんだとか


でも今さらながら思うようになった

あなたが傷付いても
それは私の人生じゃない

あなた自身が消化する感情で
あなた自身が背負う人生だから

私には関係ない
私があれこれ思い悩むことじゃない

だいたい
それほど真剣に私の話を聞いてないでしょ?


「◯◯してくれてありがとう」から
「どうして◯◯してくれなかったの?」に変わったとき

私の心情も変化する
ある意味当たり前だと思うけど

心の漣

身をもってつくづく感じること

私が感じる誰かの感情
私の意思とは関係なくいつも激しく雪崩れ込んでくるそれらを

同じく皆が感じている訳ではないということ


だから
私には考えられない言動を平気でするし
それによって生じる相手の心の漣には無頓着でいられる


こんな日々感じるあれこれを
拙い言葉で伝えようと試みても
相手の心に黒いどろどろを生み出してしまうだけで理解すらされない

それを感じた最初は母親だった
話を聞いて母親は
そんなに弱いと生きていけないよ、と言った

いつまでも引きずってる私も馬鹿げてるけど
弱さと鈍感は非なるものだと思う


昨今ならHSP自慢?と陰で揶揄されるだけ

わからないならわからない方が幸せだけど
そんなことは絶対に口にしてはいけない
要らぬ摩擦を生むだけだ

人と関わるのはとても疲れる
相手が気に入る言葉を言うのはとても疲れる

それでも生きてくには必要だから仕方ないよね

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