タイトルなし

何かしんどいことがあったとき
大きな仕事を成し遂げたとき

人はどうして
それを評価して貰いたいと思うのだろう?

それ以上に
近しい人がねぎらってくれないと
どうして腹を立てたりするのだろう?


こんなに大変な思いをしたのだから
優しくされて当然とか思ってる?


優しさを示してもらうのは必然で
優しさを示すことは
(相手を思いやることは)偶然なのかな?


この世は自分勝手な感情が渦巻いている

その渦の中で振り回されながら
誰しもどこかで
「可哀想な自分」アピールをせっせと頑張るんだろう



タイトルなし




ひとつ何かがおかしくなると
全てが崩れてく序章なんじゃないか?と怖くなってしまう

もしかしたら
誰かに相談しないと解決できないことなのかもしれないのに

誰かの助けがないとどうにもならないかもしれないのに

自分でどうにかして
なかったことにできないか?と考えてしまう

それがとても危険な安易な考えで
結局、最悪の事態になって泣きを見ること

何度も経験してるのに

それでも無駄な足掻きをしてしまう
どうしたらいいんだろう


タイトルなし

「口答えをするな」
「どうしてもっと早く○○しなかったのか?」
「生まれつきこういう性格だから仕方ない」

このような言葉を操りながら
激高しながら
追い詰めてくる人々


日本人で日本語を話すのに
全く言葉が通じない

激しい徒労感だけが残る


話し合うってとても難しい

少しでも自分の分が悪くなると
このような言葉でさっさと片付けようとする
少なくとも私の周りの人々は


正論も争いの種になる
正論など人の数だけあるのだから当たり前かもしれないけど


それでも
全く人と関わらないでは生きていけない

物理的にもメンタル的にも

自分のペースなんて考えない方がいい
相手の言動にまかせて絶対に否定しない

絡まれたくないからさ…

タイトルなし

謝罪というのは
その人の人間性がはっきり出ると思う

いつまでも謝り続けることは
とても難しいことだと言われるけど


「もうこれだけ謝ってるのだからいい加減しつこい」
などと言うのは謝っていることにはならないと思うのだ


それだけ罪悪感を感じてる?などと
思いやるほど私は人間ができてないし



世の中はまるで伝言ゲームみたいで
人の口伝えの間に間に
内容がコロコロと変化してゆく


最後に伝えられた人間が
結局労力を使って間違いを正さないといけなくて

その間違いに対する怒りを
どこにもぶつけられないまま
行き場を失ったまま

自分の心の奥底に埋めるしか方法は無いのだろう


真摯な謝罪など
望むだけ貧乏くじを引かされる

それがよくわかった一日だった


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