【殺し屋の道具屋】
彼らの虚ろな目を見ると自らの罪を自覚する。
私は、人には誰かを素手で絞め殺せる人間と、殺せない人間がいることを知っている。誰かを自身の手で絞め殺す人間にとって武器は只の道具でしかなく、私の仕事も食事を用意する職員と同価値と思われている。
一部と零部の連中は人を絞め殺す側の人間だ。
一人も漏れなく、悉く。
どんな殺戮の為の兵器だって彼らは防護服と同列にして仕舞う。
私はそれに救われる。
私は違うからだ。
私は武器の殺傷力を上げる度に暗く重い夢を見る。引き擦られて引き擦り下ろされて泥沼の中へ埋められる夢。深い毒素が舞う霧の中で薄れゆく酸素を求めて彷徨う夢。長い長い階段を這って這いずって降り続ける夢。
「こんばんは」
木邨さんの落ち着いた声が響いた。
「お久しぶりです」
木邨さんはスタイリッシュに背広を着こなしていた。隣には小野さんが居る。小野さんは珍しく白衣を着ていなかった。シャワーを浴びた直後なのか、彼の髪は少し湿っているようだ。
「やあ。雨宮は一緒じゃないの?」
「奥に居ますよ」
「そうか」
小野さんは扉の奥へ目をやった。
小野さんの目はいつも厳しく何かを見定めている。懸命に生きない人間を否定する彼の目を嫌う人間もいるけれど私はその鋭利な目が好きだった。
私はここへ来てから働き詰めで、自分の中の何かが削られていく気がするのだけれど、小野さんの瞳はその鋭さを増すばかりで摩耗することがない。私はそれに憧れる。木邨さんも、そうなのかもしれない。
小野さんと木邨さんの仲が良いことは有名だ。
二人で旅行にも行くらしく、互いの部屋のスペアーキーを持ち合っているとも聞いた。
「まあ、今日はいいや」
小野さんは扉から目線を外して言った。
「伝言があれば伝えます」
「いいよ。また来る」
小野さんは微かに笑った。
こういう和んだ表情もするんだ。良いな、と思った。
思ってから自然と木邨さんを見ていた。
「食事に誘う積もりだったんですよ。ハルちゃんも来る?」
突然の誘いに私は戸惑った。
これは社交辞令で誘ったものだろうか。それとも断る方が無礼なのだろうか。
木邨さんは整った顔を優しく微笑ませて「おいでよ」と更に言った。男の私から見てもとても魅力的な彼からの誘いを断ることはできなかった。
「あ。じゃあ、ぜひ、いいんですか」
そう答えると、木邨さんの行動は早かった。何を食べるか、何処で食べるか、何時食べるか、そして気付くと二次会とも言うべきところまで来ていた。木邨さんが「小野さんの部屋、使わせてくれませんか」、そう遠慮がちに尋ねたのだけれど、その割りには部屋に入ってから飲み物やつまみを不自然なくらいに手際良く用意し始めたので私には例の噂の真相が余計に気になってしまった程だった。
「トオルの料理は美味いよ」
小野さんは木邨さんの居ない時にそんな耳打ちをしてにやりと笑った。
どういう意味だ、それは。
普段から手料理を食べさせてもらっている仲なのか。もっと深い意味があるのか。前に食べたことがあるというだけの世間話か。自慢話か。
自慢って、なんの?
私は酔った頭で小野さんの会話の意図を考えようと試みたけれど駄目だった。
「そりゃいいですね。楽しみです」
「誘えば、部屋に連れ込んでもらえるよ、きっと」
え?
ぇえ?!
「いやー、木邨さんモテるからどうかなあ?」
へらへら笑いながらそんなことしか言えなかったけれど小野さんはそんなちょっと笑い難いジョークで快くしたのか或いは彼自身も酔って大らかになっていたのか嫌な顔もせずに、ふふん、と笑った。
「やらしい笑い方ですね。なんの話しですか?」
木邨さんが現れた。
手にはビールとつまみが少々。
「いやあ、そんな」
そんな、なんだよ?
無性に恥ずかしくて顔を赤らめている私には説得力が皆無だったろう。時既に遅し、酔っている所為だと木邨さんが思ってくれることを祈るしかない。
「女の子の居る店に行った方が良かったですか?」
木邨さんが小野さんを見下ろしながら少し冷たくそう告げた。
「確かにちょっと、物足りないね」
木邨さんの恐ろしげな雰囲気に負けずに小野さんはそんなことを言った。私は二人の作る険悪なムードに耐えられずに席を外してトイレに向かった。
「小野さんってハルちゃんのこと好きですよね」
「面白いからねえ」
部屋に戻ろうとしたらそんな会話が聞こえた。
私は思わずそこに留まった。
「ハルちゃんの専攻知ってます?」
「知らない」
「“安全を作る”研究だそうです」
木邨さんの言葉に小野さんは、ふふん、とだけ笑って答えた。
木邨さんの言うとおりだ。
小野さんの笑った理由もよく分かる。
私は安全を作る研究をしていた。いかに安全に工場での生産活動を行うか。いかに事故による怪我人や死亡者を減らすか。実際に企業に協力を求めて行う実施試験が楽しみで仕方なかった。
褒められたくて勉強した。
尊敬されたくて進学した。
感謝されたくて研究した。
思えば私は自尊心ばかりの為にこれまで研究してきたのだ。
そして辿り着いた場所がここ。
人を殺して殺して殺して殺して殲滅し尽くした人間が最後に立つ場所。ここでは毎日誰かが死ぬ。毎日誰もが死ぬ。墓石が指標となって明日の糧を授ける場所。
小野さんが、ふふん、と笑う声が聞こえた。
「あのグループに、なんでハルを入れなかったんですか。俺が四部にいた頃にはもっと酷い仕事を山程やらされた記憶があるんですけど」
木邨さんが尋ねた。
『あのグループ』?
なんのことだ。
「僕はトオルのその冷酷なところが好きだね」
小野さんがそう言うと、ビールの缶を開けたのか、カシュ、っと音が鳴った。私は何故かその音に急かされて立ち上がった。
「人を褒める時は、もっと上手く褒めるものですよ」
「僕はどうも君が好きだ」
「ハルちゃんより好きですか?」
暫くの沈黙。
「ハルの幼さは、現実だよ」
『幼さ』?
私は幼いのだろうか。
「あの白々しいくらいの純情が今ここに存在してしまえるという事実が、君の凡庸な冷酷さより劣ることはないだろう。世界にはまだ居るんだね、ああいう人間が。ハルはね、」
それ以上は聞いていられなかった。
私は幼稚なドリーマー。そんなことは知っていた。現実世界に嫌気が差して数字だけで成り立つファンタジー世界に住み着いた。けれど私は現実を棄てる度胸のない小心者だった。私は現実世界を漂うドリーマー。現実の残り香に吐き気を催す貧しい奴隷。
彼らは違う。彼らは現実など棄てて夢など見ないで世界と宇宙を繋ぐ真理を求めるリアリスト。彼らは知っている。世界の現実を無視した圧倒的で倒錯的なファンタジーこそ真に現実世界を席巻していく。彼らは非現実世界を統べるリアリスト。夢の残り香に酔いしれる高貴な支配者。
働きたい。
働きたい。
そう思っていたのは遥か昔のことだ。
アヤが修理を依頼した長刀にはびったり血がこびりついていた。そこに肉片を確認して、私は、吐いた。
その肉片は、私が削いだものだ。
木邨さんと小野さんがどんな関係だろうと、そんなことは私の生活にはなんの関係もない。この最悪な現実の中でそんなことをどうして話していられるんだろう。
今日も誰かが死んだ。
今日も私は殺した。
誰もが死ぬ。
私は誰をも殺す。
小野さんが、ふふん、と笑った。
彼らは特別だ。
リュウもアヤも小野さんも木邨さんも雨宮さんもキザキもユズも澤口さんもハルも真木さんもミズもトシも普通の人間ではない。素手で人を絞め殺してその死体に微笑む連中だ。
私は自分の手の臭いを嗅いだ。
グレープフルーツの石鹸の香りがした。
「おなか、すいた」
お腹が、ぐう、と鳴った。