「よお」
声を掛けられた吉田は瞳をキラキラとさせて振り向いた。
「先輩、どうしたんすか」
「お前のクラスの美少女を見にきた」
「ぇえ?」
「岩尾と話してたろ」
「ぇえー?」
吉田は覚えていないらしく冴えない反応をする。
「じゃあお前が一番かわいいと思う女の子でいいや」
教室を覗くと何名かの女子に気付かれた。名前を呼んで歩いてくる彼女たちの手にはプリクラが握られている。
「京平先輩! また撮ったんです〜」
「この間も撮ってなかった?」
「私のプリで埋め尽くしてください!」
こんな風に言う彼女たちだけれど、大きいサイズのプリクラを貼ると仲間うちでハブかれることもよく知っている。えげつない言葉で責められる現場も実際に見た。
彼女たちは学則の17条まで見えなくなっている生徒手帳に迷いなく貼る。
他のプリクラをチェックする時間を与えるために俺は吉田と暫く話した。だから通りがかった光に声を掛けたのは偶然。彼と話したことは一度もないし小柄で地味なその少年に注目する理由はない。
「あ、おい、お前ちょっと待って」
「はい」
「ちょっといい?」
「…はい」
「5組で一番かわいい子って誰か分かる?」
「……裏コンの駒碕さんのことですか?」
「いま教室にいる?」
「ちょっと待ってください」と言って教室を覗いた少年はやはりとても小柄だった。ジャージだけど次の授業が体育というわけではないらしい。
「いません」
不在を教えてくれたその言葉に俺は答えられなかった。女子に絡まれていたからだ。
「さつき先輩と別れたら私と付き合ってくださいね!」
「あはは、ありがとう。タイミング次第だな」
「ぇえ〜」
「じゃあ、もう行くわ。吉田!来週のはナミ高の子集めたから頑張れよ!」
席に着いていた吉田はまた嬉しそうに笑った。
「カラオケ行きましょう」などと言っている女の子に手を振りながら俺は先程の少年を探す。見当たらないので声を掛けた時に向かっていた方向に進むと思いのほか早足で3号館に向かっていたらしいのを見付けられた。
「おい!」
「…あ」
「悪いな、さっきはありがとう」
「いえ、そんな」
「俺3年の真井京平。お前は?」
「……森田光です」
「光ね、いい名前だ」
「……」
「次の授業なんなの?」
「美術です」
「あはは、お前手ぶらじゃん」
「いえ、石膏を取りに行くだけなので」
「じゃあ俺も付いていくわ」
「へ!? いや、あの、大丈夫です!」
「手伝うなんて言ってねえよ。溝江先生に会いに行くの」
「……すみません」
光は顔を赤くした。項垂れる姿は嗜虐心を煽る。
第1美術室の扉を開けると授業中だった。話している間にチャイムが鳴っていたのにのんびり歩いたのだから当然だろう。
「真井、いい度胸してるなあ」
溝江先生はにこやかに近付いたけれど内心では俺のことを即刻シバき倒したいのだろうと思う。蟀谷がぴくぴくと動くので彼女のポーカーフェイスはひどく杜撰なのだ。
「光」
「あ、あの」
俺の後ろから現れた光が用件を説明する間、俺はまた生徒手帳にプリクラを集めていた。携帯のアドレス交換までしていたら準備室から戻ってきた溝江先生にさすがにどつかれた。
「ここはキャバクラじゃないんだよ」
「先生」
「ぁあ?」
「キャバクラなんて単語が先生の口から聞けるなんて…」
わざとらしく悲しむ素振りをして見せる。
「……さっさと帰れ」
そう言った溝江先生に俺は丁寧に笑った。女子が喜ぶ顔で。
美術室を出ようとする俺を呼びとめた女子は俺の携帯を怖ず怖ずと差し出しながら言った。
「アドレス、6件しかありませんけど…」
「は?」
受け取ってみると本当だった。心当たりがあるので笑うしかなかった。
光は埃っぽい大きな石膏を抱えている。本物ではないのか触っても削れないらしいから、後で雑巾で拭くらしい。
廊下は授業中らしく静かだ。
「アドレス、どうかしたんですか?」
「全件削除されてた」
「ぇえ!?」
「いやあ、次に合コン行ったらアドレス全件削除するって言うからさあ、それは困るって言ったらキレてよく分かんなくなったんだよ。その時は面倒だから放っておいたんだけど本当に削除するとか思わないじゃん」
「ええ、まあ」
「でもこれで5回目」
「……」
俺は可笑しく思ったけれど光はそうは思わなかったらしい。
「それ持つよ」
「へ!?いや大丈夫です!」
「俺の方が先輩なんだから、後輩を可愛がるのはうちの学校の方針だろ」
「や、でも…」
「俺の方が背も高いし」
「そんな、」
「ほら寄越せ」
強引に奪うとレプリカとはいえずしりと重かった。敢えて選んだのか大きくて視界が遮られる。
「お友達多いんですね」
「多くねえよ」
「…僕からしたら、多いです」
「女の子のこと言ってんなら、あれはオトモダチとは言わねえんだよ」
「へ?」
「友達なんて2人もいれば十分。お前も2人だけでも見付けられたらそう思うんじゃねえかな」
「……」
廊下を歩きながら隣にいるはずなのにほとんど足音を立てない光の存在がひどく薄らいで感じられ、薄弱な彼はかつての綜悟さんと似ている気がした。上背も口調も違うけれど、彼らの命の底にある苦悩が似ている気がした。
「今度どっか遊び行こう」
「え?」
「友達の在り方を、教えてやるよ」
「……」
困ったように笑う光は、やはり綜悟さんと似ていた。