※刀さに(ぶしさに)
※女審神者
新しい刀剣男士が顕現する度に言われる。
「主は山伏国広が好き?」
わかってる。私は山伏が好きだ。しかし私と山伏とは特別親しい関係ではないし、刀剣男士としては、たぶん、親しさで言えば真ん中くらい。もっと客観的にみると、山伏とはそれほど親しくはない、と言える。
悲しいかな、それが事実だ。
だいたい、山伏は本丸を留守にしがちだ。
非番のときの時間は自由に使ってもらっているし、山伏に限らず、政府から修行の許可のおりない男士は自然と出陣の機会も減って、時間を持て余して万屋街を出歩いたりして、本丸にいないことも多い。しかし、それにしても、山伏は所在不明なことが多いと思う。
『山伏? さあ、山にでもいるんだろ』
『山伏国広? さて、見かけませんねえ』
誰も知らない。
そんな風に聞き歩くもんだから、私が山伏に惚れているということがことさら強調されているような気がする。こちらとしては、部隊編成のこととか、軽装のこととか、用事があるわけで、べつにプライベートな理由で彼を追い回しているわけでもないのに。不本意である。
「山伏見なかった?」
「兄弟? さあ、見てないな」
「そう。ありがとう」
ほらね。
こんなとき、私はとっておきの場所へ行く。
審神者と一部の刀剣男士だけが行ける場所。本丸の中心近く、けれど分厚い扉で固く閉ざされた蔵の奥。
そこは静かで、でもほの明るくて、たとえば何か人知を超えた存在が宿るならこんな場所かもしれない、そういう場所。冷たくて、鋭利で、どこかおそろしくて、でも柔らかい。
この蔵には、『二振目』がしまわれている。
私は真っ直ぐ『山伏国広』のもとへ向かって、手に取った。
私がいつでも触れられる『山伏国広』。
太刀だ。大きい。それに重たい。ここでは思う存分、この太刀を眺めていられる。しばらく『山伏国広』を堪能してから、少し力を込めて鞘から刀身を抜くと、驚くほど美しい。まるでこの刀から光が放たれているかのようにあやしく光っている。
きれいだ。美しい。
この刃先に指を置けば、きっとそれだけで私の指を傷つける。
こわい。でも惹かれる。
私は、おそろしいほど美しいこの太刀を、じっと見つめた。ここから『彼』が生まれた。あの、明るくて、前向きで、豪放で、それでいて優しくて思いやりに溢れた彼が。
私は慎重に刀身を鞘へ戻した。
わかる気がするんだよね。
このずっしり重たい感じ。派手さはない。堅実で、日向にある土みたいに、暖かくて安心感がある。
はじめは怖かった。山伏は体が大きくて、物腰も三条の刀のようには穏やかではないし、短刀たちのようでもないし、服装もちょっと変わっている。曲がったことや悪意には加担しない。朝ちゃんと起きて、夜には寝ている。
今はそういうところ全部好きなんだよね。
私は『山伏国広』の柄の部分を握った。
この拵えの下、茎には主の名が切られている。それは私の名ではない。
私はその名前を少し憎んだ。
「山伏国広…いつ私のものになってくれるんだろうね」
私は一人呟いて、『山伏国広』を撫でた。無骨で、質素で、顕現していなくても山伏の気配を感じる。たくさんの人に愛されただろう。人々の思いや、この太刀自身の逸話の強さが彼を生み出した。でもこの鋼に刻まれた主の名前は永遠に一つ。
ため息を吐いたその時、声が掛けられた。
「主殿」
「わ!?」
振り向くと、山伏が居た。
顕現させちゃった!?
私は手元の太刀を見て、再び山伏を見た。彼の手には『山伏国広』が下げられている。私の手にある『山伏国広』が顕現したわけではないらしい。
「驚かせたようであるな」
「ごめん、驚いた」
「あいすまぬ」
山伏は申し訳なさそうに笑った。その顔がまた可愛いので私は照れた。
普段そんなに接する機会が多くないので、ふいに話し掛けられるととても照れる。彼を好きだと自覚しているので、山伏によく思われたいとも思う。
私は『山伏国広』を棚へ戻した。
後ろに山伏がいると思うとなんだかただ振り返るのも恥ずかしい。だって私が本人に内緒で『山伏国広』を眺めて撫でていたのだとバレてしまったかもしれない。
でもいつまでも背中を向けているのも変なのでゆっくり振り返った。
「よくここってわかったね。何かあった?」
「主殿に呼ばれたので」
「え?」
山伏は私に一歩詰め寄った。
これは彼の間合いというやつだろうか。山伏が刀を抜いたら斬られてしまう。少しこわい。でももっと近づきたい。
「その太刀は拙僧そのもの。主殿が触れて、拙僧に会いたいと願われたならば、その気持ちは拙僧の心に必ず届く」
私は驚いた。
撫でまわしたのもバレただろうか?
山伏はまた一歩私に近づいた。山伏の高い体温を感じるほど近い。
「そうなんだ。知らなかった」
言うことはそれだけ?
私は自分の言葉足らずに我ながら絶望した。頭の中は大混乱だ。目を合わせられない。でも触れたい。抱きついたら驚くだろうな。もしかしたら突き飛ばされるかも。それはないか。
私の心のうちを知ってか知らずか、山伏は手に持っていた太刀を私に差し出した。
「触れたければこちらを」
心臓が唸った。張り裂けそうだ。
「ありがとう」
蔵の中で二人きり。山伏ともっと違うことを話して親交を深めるべきではないか。でも彼の『山伏国広』に手入れ以外の時間に触れることはまずないし、前に彼の手入れをしたのはかなり前のことだ。めったにないチャンスを逃すわけにはいかなかった。
緊張する。
私はおそるおそる手を差し出して、『山伏国広』を受け取った。
重い。長い。山伏が握っていたからか、ちょっとぬくい。『二振目』とは何かが違う。何か、圧倒的に。太刀のまとう空気が違う。すごく重たい。でもやわらかい。山伏が人の身を得て育んできた、心のようなものを感じる。私も審神者の端くれだからだろうか。
鞘から刀身を抜くと、梵字と「武運長久」の文字が見える。裏には不動明王の姿が。
ほんの数十センチ、それでも十分美しい。
鈍く光って、人の目を惹きつける。山伏国広が長く美術品であったこともうなずける。
しかし、この『山伏国広』は、少なくとも「無数の刀剣を破壊した太刀」である。私が彼を顕現させ、戦いに身を投じさせた。数えきれないほど出陣させた、我が本丸でも有数の古参だ。
それをまだ美術品と言える?
よく鍛えられ、強くて、優しい、人を守るための太刀。そのために破壊する。美しい、それだけで美術品と呼ぶにふさわしい。でもこわい。
「主殿、刃先を己れに向けるのは、危険である」
山伏は太刀の柄と鞘とを両手で掴むと、刀身をそっと収めた。私が指の力を抜くと、『山伏国広』は私の手を離れていった。
「綺麗な太刀だね」
山伏は何も答えない。
「いま何時かな。山伏ももう戻る?」
私は山伏の腕から覗く迦楼羅炎を見ながら尋ねた。迦楼羅炎は人の煩悩や、災厄の源を焼き尽くすと言う。触れたら私なんか燃えちゃうかもしれない。
「山伏?」
返事がないので顔を上げて山伏の顔を覗き見た。
「主殿」
「はい」
山伏の目って、なんとも言えない色をしている。朱色とも違う、赤銅色っていうのかな。かんかんに熱くなった鉄のような、純度の高い銅のような色。
「主殿が拙僧のことを好きだと言う者がいる」
核心。
なんで急に?
こわいよ。なんで?
私はどんな風にごまかせばいいか必死に考えた。こんな場所で、二人きり。もはや何を言っても逃げるための口実だと思われるだろう。
「へ〜、そうなんだ」
ははは、と笑う。声が変だ。これは緊張なのだろうか。好きだと告白する前ならこんな風に緊張してもいいだろう。しかし今はそんなタイミングではない。ごまかし、ごまかし。自分の憐れに泣きたくなった。
だってね、私だっていつか山伏に好意を伝えようとは思っていたのだ。どんな風に、いつ、伝えるか、布団の中で夢想しては頬を染めた日もあった。
「へ〜」
私は顔を引きつらせながら、ちら、と山伏を盗み見た。
「主殿」
「はい」
ばっちり目が合った。あの赤銅色の目。真剣な眼差しで私を見ている。
「主殿、どうか、本心を」
私はすごく切ない気持ちになった。山伏が、山で行き場を無くした絶滅寸前の動物みたいな、自分を理解してくれる唯一の仲間を探すような、そういう表情をしたからだ。
この『山伏国広』は私が顕現させた。
私がこの世界に呼んだから、山伏は人間の体で、斬り付けられて血を流したり、時間遡行軍の刀を傷つけ、折ったりすることになったのだ。美術品として飾られていた頃には、その美しさに息をもらされ、その来歴に感嘆の声をあげられる、そんな存在だったはずなのに。私が山伏を作り変えてしまった。
人間の体で、人間の声で、人間みたいに汗を流し、人間みたいに切なく顔を歪めて。
私が山伏にしてあげられることはあるだろうか。
「好きです。ずっと前から、ずっと、好きでした」
私は山伏に一歩近づいた。
それだけでよかった。
山伏は優しく私を抱き締めた。すごく力強いのに、すごく温かくて優しい、そんな力の込め方だった。
「あいわかった。主殿、何も心配はいらぬ」
山伏の声が、まるで彼の体を楽器みたいにして、優しく響いて、私まで伝わってくる。山伏がそんな風に言わなくたって、私は心配なんかしていない。何も言わなくたって、今日みたいに、こんな風に抱き締めてくれたら、私にはそれで十分だ。
「山伏」
「うむ」
「私は山伏の『主』なのかな?」
その鋼に切られた『主』の名は私ではないけれど。
「うむ。主殿、ただ一人である。拙僧に世界の鮮やかさを教えてくれ、修行のつらさ、仲間と飲む酒のうまさを教えてくれたのは、主殿、ただ一人である。拙僧の心には、主殿の名前がしかと刻まれ申した」
嬉しいこと言ってくれるね。
私は照れて、山伏を軽く叩いた。
「どこでそんな口説き文句をおぼえてきたの」
私が尋ねると、山伏は「カッカッカッ」と軽快に笑った。
【銘を切る】