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君は幻。


数年前に知り合った友人と連絡を取らなくなって半年が過ぎた。
それまで毎日のようにSNSやメールで他愛ない話をしていた。
半年も経つと、もう何年も会っていないような気分だ。
友人は元気にしているだろうか。

なぜ。
それを聞くことができないまま、友人に拒絶された。
連絡をしても一切返事が返ってこない。
何があったのだろう、いくら考えても本当のことは分からなかった。

彼は気まぐれな人だった。
私と彼の共通の友達を、性格が合わないと言って相手に理由も告げず交流を切ってしまった。
彼がそういう性格だということは知っていた。
あの時、おそらく私もいつかはこうやって切られるのだろうな、とぼんやり思った。
まさか本当に切られるとは思っていなかったわけだが。

彼は不満をため込むタイプだった。
滅多に人の悪口を言わない人だった。
そんな人ならなおさら、直接「嫌だ」とは言わない。
何も言わずすぅっとどこかへ消えてしまうのだ。
何も言わず。
まるで、一緒に過ごした時間なんてどこにも無かったかのように。

初めは、どうして理由を言ってくれないのかと、私は腹を立てた。
きっと私のことが嫌いになったのだ、そう思った。
自分の何気ない行動が彼の気に触った。きっとそうだ。
でもいくら自己嫌悪に陥っても、彼と話せる機会はもう無い。

拒絶とは恐ろしい。初めから何も無かったことになる。

今はだいぶ落ち着いた。
彼を恨むのはお門違いで、彼と話す資格を私は失ってしまったのだから。
それが事実なのだから、何も無かったようにこの先も進むしかない。

たいそうだなあ。おおげさだなあ。
でも私の人生を変えた人だったんだよ。
この先、そう思える人に何度出会えるか分からない。
一期一会って本当だったんだ。

許すとか、許されるとかそんなんじゃなくて、ただあの時期が特別だった。
交わるはずが無かった線が交差して生まれた奇跡だった。
もう二度と話せないのも、予め決まっていた運命だったなら。
この先もそうやってあきらめることが増えていくんだろう。 

失ったものを数えるよりも、今あるものを数えられたらどんなにいいだろうか。
彼を失ってしまった事実は今も私の頭を貫いて、強制的に懐かしいあの日を思い出させる。
もう思い出させてくれるなよ、頼むから。
もう戻ってこないんだろ。

本当はさびしい。


同期が職場に顔を出さなくなってから一ヶ月近く経った。
休み始めてから三、四日経ったころ、心配になってメールしてみた。

『同期と相談もせずに突然休んでしまってすみません。』

返ってきたメールに、違和感。
同期だからって、必ず相談しなきゃいけないのかな?
会ってまだ間もない他人に相談する人間は少ないのではないだろうか。
そう思ったから、私は初め、「この人はとても律儀なんだなあ」くらいにしか思っていなかった。 

入院したと聞いていた話も、彼女の直属の上司がどうやら詳しい事情を把握していないことが分かったときも、「ああ、そうか」と納得することしかできなかった。
私から見た彼女は、気分屋かと思えば真面目で、妥協は許さなさそうなタイプだ。
私たちの職場は、彼女にとって過ごしにくかったのかもしれない。
ぶっちゃけとてもゆるい職場だからだ。 

もう決めつけてしまっているが、彼女は精神的な病を抱えているのではないかと私は思う。
現代日本に急増しているうつ病である。
新型のうつ病の話も聞いた。
初め、返事をしてくれていた彼女。
この間送ったメールに返事はなかった。

キーワード検索。

同じように同期を心配する人の悩みが投稿されていた。
気づいてあげられなかった自分、何ができるか、どうすれば力になれるか。
それに対して様々な回答があった。

合う、合わないはその人次第だ。
彼女には今の職場や人間関係が合わなかった。
それだけの話。
こちらが歩み寄っても彼女にとっては迷惑。
先日、それは証明された。

ただ私が嫌われているだけで、メールを無視したならそれはそれで安心したのだが。
実を言うと、彼女は私と同じ趣味を持つ者だったので、仲良くなりたかったのである。
けれど、離れて行かれては……どうもね。追うわけにはいかないね。

強制できる立場ではない。
文句を言う筋合いもない。
単なる仕事仲間というだけで、彼女と私の間には何もない。
心配も迷惑に変わる。
何もできない、何もないってこういうことなんだと思った。

友達と思っていた人でさえ、突然こうなるのだから、人生って実はさびしい。
たまたまその時だけ気が合っただけとか、進む方向が違えばもう二度と会話する機会も持てなくなるとか。
生涯、友達として仲良くしていきたいと思った人に限ってそんなことが起こるから。
すごく悲しい。
でも、この悲しみは誰にも理解できない。というか、悲しんだって「仕方ない」の一言で終わる。
だって誰が誰と友達でいようが自由に選べる世界だから。
相手から拒絶されたらあきらめるしかないから。

唐突に別れを突きつけられた身になってみろよ!!
なんで私が傷つかなきゃいけないんだよ!!
なんでかわいそうだと思わなきゃいけないんだよ!!

どれだけ罵ったって相手がいないんじゃなんの意味もないよね〜
ずるいなあ、ちくしょう。
どんなに私が恨み事を吐いたって届かないし、相手は罪悪感なんてこれっぽっちも考えてやしないんだから。

怒りたくなるのは、どうしてだろうなあ。
本当、友達でいられると思ってたんだよなあ。
やっぱり私がつまらない人間だから、友達にはなれないってことなのかなあ。とか…

そうしていつの間にか自分を責めていく笑
ここは一つ割り切っちゃいましょ!!
恨み事もいっぱい吐いたし、泣くだけ泣いたし、心配するだけしたし、自己満足だけど!
悲しむ必要なんてどこにもない。

彼らには私は必要無かった。それだけのことだ。

届かない奇跡。


友達だと思っていた人から、連絡が来ない。
何かあったのだろうか、心配する以外には何もできない。
いくら友達でも踏み込んではいけないラインがあって、私にはその境界の区別がつかなかった。
もしかしたら踏み越えてしまったかもしれない。
でも知る術はない。

一方的に拒絶されるということがこんなにも空しいものだとは思わなかった。
私を拒絶した人は気の毒なことに、私が好く部類の人間だった。
きっと私と関わるのが煩わしいから切ったのだと、今ではそう考えている。
信じたくなかったが、そちらの可能性の方が濃厚だった。

彼らと出会ったのもまた奇跡だろう。
私は出会うべくして彼らに出会い、別れるべくして別れた。
それだけのことだ、と…割り切れたらどんなに楽だろう。

過去が置き去りにされ、この先の未来は一切紡がれない。
私と彼らの存在が交差する話はもう生まれたりしない。
生きてさえいればまた会うことができるのに。
生きていることが分かっていても会うことはできない。

こんなに辛い思いをすると分かっていたなら、初めから会いたくなかった。
なんて思ったこともある。
でも嫌だった。
出会ってからほんの少しの間だったけど、彼らのことは忘れたくない。
本当に、本当に大袈裟だけど、彼らは私の世界を変えてくれたからだ。

きっかけとか通過点とか分岐点とか、そんな言葉がぴったりだ。
私はそれで終わらせたくなかったが、相手もこの先「仲良くしましょうね」と思っているわけじゃない。
けっして。

来る者拒まず、去る者追わずにしたがって生きていた私が初めて追いかけたくなった人たち。
今はどこでどうしているのか分からない。
いくらネットを使って簡単に繋がる世の中とは言え、切れてしまえば案外あっけない。
繋ぎ留めておくのは難しい。

だから諦めるしかないのだ、とその結論に至るまで3ヶ月近くかかった。


もし、 何かの拍子でまた連絡を取り合うことがあれば、うれしい。
でももう触れてはいけない。踏み込んではいけない。
切れたら繋げばいい、って思ってたけど、きっと前みたいに話はできないから。
きっと別人になった彼らを、私は空しく思うし許せない。
人がどうなろうと自由なのに、許せない、なんて何様なんだろう。
いくら妄想したって許すことも話すこともなんにもできないくせに。

もう一度でいいから、なんて嘘もつけない。

目に映る奇跡。



小雨が降って間もない時間、電車に乗った。
どの座席も人がいっぱいで座れなかった。
しかたなく、降りる駅の階段に一番近い車両へ移動したときだった。

窓の外に大きな、とても大きな七色の弧が見えた。
心の中で「あっ」と声を上げた。
車内を振り返ると、乗客は誰も空に映る奇跡に気づいていないようだった。
みんな買い物や仕事帰りで疲れていたのだろう。 

あの瞬間、自分には見えたけれど他の人たちには見えなかったものを私は見たのだろう。
そういうのは幽霊だけだと思っていた。
けれども身近なところでそういう現象は起きるのだと思った。

ただの光の反射だとか不吉なものだと言う人もいるが、私は虹を綺麗だと思う。 
普段の生活の中では滅多に見られないから。
作ろうと思えば作れるけど、 あれが空に浮かぶから凄いのだと思う。
意図的ではない、自然が空に生み出す奇跡だ。
あれには届かない。
掴んでおきたくても時間が経てばやがて消えてしまう。
一瞬の奇跡。
その奇跡を自分だけが目にすることができた。
なんだか優越感に溢れていた。

けれど、あの光景をどれだけの人が目にし、どれだけの人が気づかないまま過ごすのだろうか。

果たして日常に、どれだけの奇跡を目にしている人がいるのだろうか。

もしかすると今、この時、この場で奇跡が起こっているかもしれない。
私はただそれに気がついていないだけで、気がつけば世界はもっと彩られるかもしれない。

タイムリミット



本当は限られた時間の中でしか許されないことだったんだ。
それに気づいたのはつい最近だ。

家族は私が生まれたことを祝福してくれた。
それなりの、いや…溢れんばかりの愛情を注いでくれたに違いない。
すると、どうだろう。
愛を受けるのに慣れてしまった私。
やがて大人になる時期がきた。
上手くいかない人生に立ち往生、挙句の果てに「疲れた」と全てを諦めたように呟く。

なんのために、家族が祝福してくれたのか。
分からない。
生まれたときは何も分からなかったから。
誰が祝福していたかなんて分かりっこない。

どうして家族はまだ君のことを支えてくれているんだろうね?
保険じゃないかな?
万が一のときに私に面倒を見てほしいから。

本当にそうだと思う?
どういう意味?

家族だから、仕方がないから、君を手助けしている?
そうだ。
仕方のないことだと、向こうは受け入れてるんだ。
そんなに嫌なら切り捨てればいいのに…

そんなこと思ってないのは自分が一番よく分かっているんじゃないかな? 

君は、家族が仕方なしに居てくれていると思っている。

けれどそれは間違いだ。

彼らは生きているからそこにいるんだ。

たまたま君もそこにいるんだ。

家族だからいっしょにいるように見えるんだろう。

でも本当は偶然居合わせただけ、たったそれだけなのさ。

それだけで君は今まで生かされてきたんだ。

生きることを、偶然居合わせた彼らに"許されて祝福を受けた"。

君は生まれながらに幸福を手に入れていたんだ。

受けるはずのなかった幸福を。

幸福を受けた君の成すべきことは一つ。

支えてくれた家族と向き合うことだ。

君が君として生きていけるのは、彼らがいなければ有り得なかったのだから。

死が怖いからと言って彼らから目を背けるのは、それこそ罪と言うものだろう?

向き合うんだ。恐れるな。これは君が生を受けたときから定められた試練なんだ。

"運命"とも"宿命"とも言うけどね。誰もが乗り越えていかなければならないことだと、私は思っているよ。



あなたは、誰?


私は君であり、私だよ。いつも君を支える者の一人だ。
どうか理解してほしい。そして受け入れてほしい。君は一人ではないということに。

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