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この世界は違う

表面上は変化していく。
年をとるごとに自分と周囲との関係は確実に。

けれど私の中身はきっとこのまま何も変わらないんだろう。
何も変わらず、だらだらと生きて、それだけ。



思えば将来の夢や目的なんて初めからなかった。
それに似たような願望を一時期抱いたことはあったけど
最後まで本気で取り組めなかったのは心の底から
それを実現する思いが足りてなかったから。 

何事に対しても中途半端で、確かな熱意なんてどこにも無い。


こういうのを 冷めている というんだろう。

それ以前に自分は、自分が人間として存在するということに
ため息をつきたい気持ちになる。

何かをしたいという意欲が無い ということは 競争心が無い
ということとイコールで、それが動物に置き換われば
私はとっくの昔に死んでいるだろう。
生き残ろうとする意志が無いから。
そういう個体は自然界では真っ先に死ぬ。 

それが人間だとそうもいかない。

生命への倫理、思考に理性が関わってくる。
生きるのが面倒になったからといって途中で投げ出すわけにはいかない。
死への恐怖心も抱いているから、いざ死にたいと思っても
なかなか決心のつかない人は結局はずるずると生きていくだけ。

死んだらあっけないのにね。
単純に済ますことができるようで実は複雑。
人間にとって人間の死は簡単なものじゃなくなってる。



生きているから難しく考えて前に進めなくなるんだろう。
今、こんな風に私が考えていると誰かが知ったら
そんなことを考える暇があったらやりたいこと見つけろ、とか
そんな風に考えちゃう時期なんだよ、とか
難しく考えなくてもいいんじゃない? とか

言うよ、きっと。 

そうだね、そうだよね。私は納得する。 

納得するけれど、やっぱり自分の中身は変わらない。
それは、もう自分の中で結論みたいなものを出しているからか
頑固で物分りがよくないからか、馬鹿でどうしようもないからか
これ以上考えるのが面倒だからか…

理由はたくさんある。ありすぎてどれが本物なのか分らない。

自分の気持ちに本物があるのかが分らない。
それは、考えようとしていないだけかもしれない。
向き合うのが怖いから、真剣に考えるのが辛いから
目を逸らそうとしてこんな風にマイナスにばかり考えるのか…

やっぱりよく分らない。


結局、自分は本気で生きるのが怖いだけなんだ。
何かに一生懸命になることが
誰かを本気で好きになることが
理想の生き方を追求することが

死んだら もうあとには何も残ってないけれど
生きている時は 今 しかないから。 
過ぎていく時間=死に向かっている時間の中で
考えて、悩んで、悲しんで、喜んで 生きる。

言葉にしたら本当、単純。

きっと誰かも同じように考えたことってあるんだろう。
それこそ腐るほど生きている人間だから
私と同じような考えをする人も居ただろう。

そう考えるとやっぱり単純、そして下らないと思ってしまう。 


世界で生きるのは難しい。
けれど私たちは誰もが世界に与えられてここにいる。
命、自然、親、友達、恋人、食べ物、趣味、娯楽…
ぜんぶ自分で選ぶような気がするけれど結局
私たちは与えられてからじゃないと何もできない。
本能だって与えられたものだから。

生かされているんだ。
生きているんじゃなくて。

何の為に?とか
それ以上は考えたってしかたないからやめる。

自分の気持ちとか考えが
どれが本物なのかはっきりしない今
そんなことを考えてもまた自分の中で
おかしな葛藤が生まれるだけだから。




何に対する考え方で何を思ってこんなことを書いたのか
ほとんど衝動的でやっぱりよく分らない。

これが本物の自分なのか
それさえも…
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