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まだそこにいるのに、


手が届かないような気持ち。
分かってる。無駄なことだなって、分かっている。
でも考えてしまう。

「もうすぐ死ぬの? 」
そんなことストレートに聞けやしない。
でも着実に、貴方は自分の死を受け入れつつある。
それを周囲に、徐々に知らせている。
ずるい、と思った。
自分は死んで、あとは任せるみたいな、無責任なことは。
ひどい、と思った。
けれど本当にひどいのは私の方じゃないのか?

なぜ、貴方がそんな準備をする羽目になったのか、よく思い返してほしい。
私はどれだけ貴方の時間を奪っただろう。
私はどれだけ苦労をかけただろう。
私はどれだけ貴方の身体を蝕んでしまったのだろう。
取り戻したくても取り戻せないもの、それらを積み重ねてしまったのは、紛れもなく私だった。

私を生かしてくれた貴女が、私の元を去るのは許せない。
でも貴方は、そんな風に考える私を許しはしないだろう。
呆れた顔をして「受け入れろ」と、言うのだろう。

「しかたのないことだから」

貴方は笑ってさえ見せるかもしれない。それがひどく恐ろしい。

恐いんだ。怖いんだ。こわいんだ。
何もかもがこわくて聞けない。
それを聞いたら、自分でスイッチを押してしまうかもしれない。
もう後戻りできないところまで来ていると分かっていても、私はスイッチを押したくない。
初めから決まりきった物語なんて辿りたくなかった。


まだそこにいるのに、手を伸ばせば届くのに。
声が出せない。

話せばきっと伝わるのに、伝えられることが恐ろしくて踏み出せない。
踏み出せば、踏み込まれたらきっと死なねばならない。

死んで生まれ変わらなければならない。
貴方のいなくなった世界で、強く生きるために、貴方の死を理解しなくてはならない。

貴方が去るのなら、私も私を捨ててしまうべきだ。
生きるために。


まだここにいる貴方と正面から向き合いたい。

おそれ。


両親の体調が年々悪くなっている。
母は「人間も古くなれば壊れるものだ」と言って、なるようにしかならないと思っているようだ。
父は、母よりも先にボケが始まるのではないかと思う。

両親は、私を育てて幸せだっただろうか。
きっと面倒くさかっただろう。なんで育てたのかな。

友達が初任給を使って、家族にプレゼントをしたいと考えていると言いだしたとき、
私は今まで家族に何をしてあげれただろうと考えた。
周りの人がやっているような、当たり前のことに無頓着すぎて家族を蔑ろにしていた。 

かと言って、何をしてあげたら喜んでくれるんだろう。
相手の心が目に見えたなら、こんな苦労しなくて済むのに。
人の気持ちが解らない。
私も普通の人だったらよかったのに。

両親が、いつか別人になってしまう前に何かしてあげたい。
別人になってからもいっしょに過ごせたら、その努力ができるだろうか。
壊れかけの人を前にして、強い気持ちで向き合えるだろうか。

きもちわるい


好きという感情を向けられるのが怖いくせに

誰かを愛したいと思っている、その矛盾を

今は言葉で説明することができない。 


見返りに愛されたい、と心が思っているなら

愚かにもほどがある。

絶対にそれはない、とそれだけは断言できる。


悲しむ人も喜ぶ人も泣いてくれる人も笑ってくれる人も

この先いなくなるのだから。本当を知った上で、そんな人が

目の前に現れたら、また叶わない恋をしてしまうんだろう。


願いが成就されない、とわかっている分、別れは辛くなくなるはずだ。




孤独、空虚、透明、醜悪、淀み、嫉妬、劣等感、退廃、無

それらを肯定することは簡単なのに。

どうして苦しい………

過去に浸ることは簡単なのに、

未来を想い描くのは簡単そうに見えて難しい。

希望を持てるような言葉を、私はきっと人にかけることはできない。
自分自身が希望のイメージを持ってないから。

でも世間が求めるものは、人が求めるものは、マイナスじゃなくて
自分のプラスになるようなことだから、マイナスの塊でしかない自分を
誰かが見てくれるなんて絶対に無い。
共感したところでうつうつとするだけで意味なんてないから。

そう考えるとやっぱり要らないんだなって思える。
こんな事なら何も知らずに生きていきたかった。
怯えて、自分で苦しんで、自分で生きにくくした世界で生きることも無かったはず。
でも案外真面目だから、死ぬその時まで今の人生を真っ当しようとするんだろうな。
死ぬ勇気なんてこれっぽっちも無いから。

何も知らず、ってちょっと違うかも。
苦しい思いはしたくなかった。楽しいことだけでよかった。
でも人生楽ありゃ苦もあるさ、なんて言うんだからそんな簡単に生きることは
誰にもできないんだろう。

もっと、自由に、自分を信じて生きていきたかったなあ。
自分はもう、中身は腐ったままの過去の遺物だ。

運命的な出会い、だった

ほんの少し、暇つぶしにくらいにしか思っていなかった。
普通ではありえない出会い方だったと思う。
私の周りの普通は、自分が体験するものとはぜんぜん違って、真っ当な感じがしてた。
私は普通に見えてぜんぜん普通じゃないのかもしれなかった。
誰に聞いたって答えが返ってくるわけじゃないから、見てないだけだけど。

きっと物珍しさとか興奮、とかもあったんだと思う。
普段とは違う少なくとも刺激的な出逢い。
ネットが大幅に普及した最近ではもうすでに普通になっているのかもしれないが。

知り合って間もない頃は楽しかった。
お互いのことを知っていくのが楽しかったし、周りにいないタイプの人だったから
いろいろ興味を持てた。向こうも人見知りだとか、会ってこんなに馴染むとは思って
なかったらしく、私自身も初めて会った気がしなかったのを覚えている。

完結に言うと、特別だと思われていると思ってた。
必要とされていると勘違いしてしまった。
それが今に至るまでの始まりで、こんなにも君のことで悩むなんて思ってなかった。

好きなのに、 絶対に一人の人間としては見てもらえない。
昔、私の位置だったそこは今は別の人の位置になっている。
相手をしてもらえなくなって、名前を呼んでもらえなくなって
ただただ寂しかった。悲しかった。
最初だけ急速に仲が良くなって、ある程度相手のことを知って、
興味を無くしちゃったんだろうって、思ったら、

自分はたったそれだけのつまらない人間なんだなって、分かってしまった。 

君だけじゃない。最近、周りの人を見ていると自分が全てにおいて劣っているように見えてしまう。
実際そうなのだろう。

社会不適合者、って自分みたいな人間のことを言うんだろう。
表面上だけ取り繕って、誰とも深いところでは繋がりを持てなくて、薄っぺらな人間性しか無くて、
何を持ってるって言うの。何が自信になるの。自分さえ信じられないのに誰を信じればいいの。
そう考えることさえも良くないのに、一度マイナス思考に囚われたらずっとループから
抜け出せなくて、その度に弱いな、弱いなあって、また自己嫌悪して……

こんなんで生きていって、なんの意味があるのかな。