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本当はさびしい。


同期が職場に顔を出さなくなってから一ヶ月近く経った。
休み始めてから三、四日経ったころ、心配になってメールしてみた。

『同期と相談もせずに突然休んでしまってすみません。』

返ってきたメールに、違和感。
同期だからって、必ず相談しなきゃいけないのかな?
会ってまだ間もない他人に相談する人間は少ないのではないだろうか。
そう思ったから、私は初め、「この人はとても律儀なんだなあ」くらいにしか思っていなかった。 

入院したと聞いていた話も、彼女の直属の上司がどうやら詳しい事情を把握していないことが分かったときも、「ああ、そうか」と納得することしかできなかった。
私から見た彼女は、気分屋かと思えば真面目で、妥協は許さなさそうなタイプだ。
私たちの職場は、彼女にとって過ごしにくかったのかもしれない。
ぶっちゃけとてもゆるい職場だからだ。 

もう決めつけてしまっているが、彼女は精神的な病を抱えているのではないかと私は思う。
現代日本に急増しているうつ病である。
新型のうつ病の話も聞いた。
初め、返事をしてくれていた彼女。
この間送ったメールに返事はなかった。

キーワード検索。

同じように同期を心配する人の悩みが投稿されていた。
気づいてあげられなかった自分、何ができるか、どうすれば力になれるか。
それに対して様々な回答があった。

合う、合わないはその人次第だ。
彼女には今の職場や人間関係が合わなかった。
それだけの話。
こちらが歩み寄っても彼女にとっては迷惑。
先日、それは証明された。

ただ私が嫌われているだけで、メールを無視したならそれはそれで安心したのだが。
実を言うと、彼女は私と同じ趣味を持つ者だったので、仲良くなりたかったのである。
けれど、離れて行かれては……どうもね。追うわけにはいかないね。

強制できる立場ではない。
文句を言う筋合いもない。
単なる仕事仲間というだけで、彼女と私の間には何もない。
心配も迷惑に変わる。
何もできない、何もないってこういうことなんだと思った。

友達と思っていた人でさえ、突然こうなるのだから、人生って実はさびしい。
たまたまその時だけ気が合っただけとか、進む方向が違えばもう二度と会話する機会も持てなくなるとか。
生涯、友達として仲良くしていきたいと思った人に限ってそんなことが起こるから。
すごく悲しい。
でも、この悲しみは誰にも理解できない。というか、悲しんだって「仕方ない」の一言で終わる。
だって誰が誰と友達でいようが自由に選べる世界だから。
相手から拒絶されたらあきらめるしかないから。

唐突に別れを突きつけられた身になってみろよ!!
なんで私が傷つかなきゃいけないんだよ!!
なんでかわいそうだと思わなきゃいけないんだよ!!

どれだけ罵ったって相手がいないんじゃなんの意味もないよね〜
ずるいなあ、ちくしょう。
どんなに私が恨み事を吐いたって届かないし、相手は罪悪感なんてこれっぽっちも考えてやしないんだから。

怒りたくなるのは、どうしてだろうなあ。
本当、友達でいられると思ってたんだよなあ。
やっぱり私がつまらない人間だから、友達にはなれないってことなのかなあ。とか…

そうしていつの間にか自分を責めていく笑
ここは一つ割り切っちゃいましょ!!
恨み事もいっぱい吐いたし、泣くだけ泣いたし、心配するだけしたし、自己満足だけど!
悲しむ必要なんてどこにもない。

彼らには私は必要無かった。それだけのことだ。

届かない奇跡。


友達だと思っていた人から、連絡が来ない。
何かあったのだろうか、心配する以外には何もできない。
いくら友達でも踏み込んではいけないラインがあって、私にはその境界の区別がつかなかった。
もしかしたら踏み越えてしまったかもしれない。
でも知る術はない。

一方的に拒絶されるということがこんなにも空しいものだとは思わなかった。
私を拒絶した人は気の毒なことに、私が好く部類の人間だった。
きっと私と関わるのが煩わしいから切ったのだと、今ではそう考えている。
信じたくなかったが、そちらの可能性の方が濃厚だった。

彼らと出会ったのもまた奇跡だろう。
私は出会うべくして彼らに出会い、別れるべくして別れた。
それだけのことだ、と…割り切れたらどんなに楽だろう。

過去が置き去りにされ、この先の未来は一切紡がれない。
私と彼らの存在が交差する話はもう生まれたりしない。
生きてさえいればまた会うことができるのに。
生きていることが分かっていても会うことはできない。

こんなに辛い思いをすると分かっていたなら、初めから会いたくなかった。
なんて思ったこともある。
でも嫌だった。
出会ってからほんの少しの間だったけど、彼らのことは忘れたくない。
本当に、本当に大袈裟だけど、彼らは私の世界を変えてくれたからだ。

きっかけとか通過点とか分岐点とか、そんな言葉がぴったりだ。
私はそれで終わらせたくなかったが、相手もこの先「仲良くしましょうね」と思っているわけじゃない。
けっして。

来る者拒まず、去る者追わずにしたがって生きていた私が初めて追いかけたくなった人たち。
今はどこでどうしているのか分からない。
いくらネットを使って簡単に繋がる世の中とは言え、切れてしまえば案外あっけない。
繋ぎ留めておくのは難しい。

だから諦めるしかないのだ、とその結論に至るまで3ヶ月近くかかった。


もし、 何かの拍子でまた連絡を取り合うことがあれば、うれしい。
でももう触れてはいけない。踏み込んではいけない。
切れたら繋げばいい、って思ってたけど、きっと前みたいに話はできないから。
きっと別人になった彼らを、私は空しく思うし許せない。
人がどうなろうと自由なのに、許せない、なんて何様なんだろう。
いくら妄想したって許すことも話すこともなんにもできないくせに。

もう一度でいいから、なんて嘘もつけない。

目に映る奇跡。



小雨が降って間もない時間、電車に乗った。
どの座席も人がいっぱいで座れなかった。
しかたなく、降りる駅の階段に一番近い車両へ移動したときだった。

窓の外に大きな、とても大きな七色の弧が見えた。
心の中で「あっ」と声を上げた。
車内を振り返ると、乗客は誰も空に映る奇跡に気づいていないようだった。
みんな買い物や仕事帰りで疲れていたのだろう。 

あの瞬間、自分には見えたけれど他の人たちには見えなかったものを私は見たのだろう。
そういうのは幽霊だけだと思っていた。
けれども身近なところでそういう現象は起きるのだと思った。

ただの光の反射だとか不吉なものだと言う人もいるが、私は虹を綺麗だと思う。 
普段の生活の中では滅多に見られないから。
作ろうと思えば作れるけど、 あれが空に浮かぶから凄いのだと思う。
意図的ではない、自然が空に生み出す奇跡だ。
あれには届かない。
掴んでおきたくても時間が経てばやがて消えてしまう。
一瞬の奇跡。
その奇跡を自分だけが目にすることができた。
なんだか優越感に溢れていた。

けれど、あの光景をどれだけの人が目にし、どれだけの人が気づかないまま過ごすのだろうか。

果たして日常に、どれだけの奇跡を目にしている人がいるのだろうか。

もしかすると今、この時、この場で奇跡が起こっているかもしれない。
私はただそれに気がついていないだけで、気がつけば世界はもっと彩られるかもしれない。

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