22日の日記を書いて寝ようとしていたけどふと気付く。
…お父さんの喉が鳴る音聞こえない…。
昨日夜から少しずつ音が大きくなって、今日もずっとしてたんに。
なんか怖くなって確かめてみる。
手先が冷たくなってる…。
ずっと手は温かかったんに。
シャントの場所が分からんの?
え?
血が流れてないから分からんの?
よく分からなくて怖くて怖くてナースコール。
来てくれた看護士さんに説明したら、もう残された時間は長くないと。
誰か伝えたい家族は居ますかと聞かれ、兄と姉と答える。
我がで電話出来なくて看護士さんに任せて、ずっとお父さんを呼んでました。
呼吸が苦しくて、よく分からなくて。
どれだけ時間が過ぎたのか分からないけど兄が来てくれて、それて姉にも連絡とって。
全員が揃って少ししたら先生が来て。
2時40分でした。
それから色々やることあって、時間はあっという間に過ぎていき、夜には通夜です。
ずっと泣いてました。
ワイは、まだまだお父さんの傍にいるつもりで長期になる気満々だったんよ。
だから食糧とか食べ過ぎんごとセーブしてたんよ。
もう少し先だと思ってたから、お父さんに話したいこと話せないままでした…。
それと、最期の時はお父さんの手を握って居たかったという願いはきっと叶ってない…。
一緒の空間には居たんに、気付くのが遅かったんよね…。
ほんに切ない。
通夜にはお父さんの仲間もみんな来てくれて、本当に有り難かったです。
良かった。
なんだか夢現のようで認めたくなくてよく分からない。
涙が止まらなくてねぇ。
ステブさんに助けられながらなんとか。
そんな3月23日。