■連休初日■
親子連れで賑わう公園。
その片隅では、幾度も時計に目をやる男の姿があった。
時刻は間もなく正午を迎えようとしている。
そして、幾度目かのため息を吐きながら、視線を公園の入口に向けた男の視界に、ようやく待ち人の姿が飛び込んで来たのだった。
そんな待ち人の少年は、かれこれ30分以上の遅刻をしている。それでも走るでもなく、寒さ故、というよりはむしろ、嫌々といった風体で、ダッフルコートのポケットに手を突っ込んでだらだらと歩いて来る。
そして仏頂面のまま、無言で男の前に立った。
「…遅刻ですよ」
「あっそ」
そう視線も合わせずに無愛想に言葉を返しただけで、遅れて来た少年は、まるで来てやっただけでも感謝しろと言わんばかりである。
そんな彼の顔を男は両手に挟み、強引に自分の方に向かせた。
「せめて、お待たせ、とか、待った?とか、言ってみてはどうですか?金田一くん」
そう言った男は、相変わらず口元に笑みを乗せてはいるが、その瞳はあまり笑っていない。
「っるせー!誰がお前相手にそんな事言うかよ、気持ちわりー。だいたい脅迫まがいの待ち合わせなんざ、誘拐も一緒だっての!」
そう言ってはじめは、イーッと歯を食いしばった小憎たらし顔をして見せた。
遅刻の上にこの態度である。
しかし、『警察はもちろんですが、誰かにこの事を話したり、私を捕まえようと罠でも張ろうものなら…賢い君なら分かるでしょう?君の家の場所はもう把握済みですし、君の幼馴染の家も、ね』そんな脅しをかけて来たのはこの男、高遠の方だ。これくらいの態度を取られても当然だとはじめは思う。
それに、高遠のお願いを聞いたところで、自分に何のメリットがあるというのか…
「ですが、私の申し出に二言返事をしたのは他ならぬ君でしょう。費用はすべて私持ち、という提案に。ま。正直、それはデートに誘った男としては当然のマナーとも言えますけどね」
そう言って、高遠ははじめの頬を抓って思いっきり横に引っ張った。
そう。高遠という男はそんな事で尻込みするような男ではないのである。
むしろはじめの方が自分の意地汚さに後ろめたさを感じた程だ。
「ま。いいでしょう。相手の遅刻もデートの醍醐味です。それに、約束は守っていただけたようですし、それなら私も、きちんと約束を守りましょう」
フッと微笑んで、高遠ははじめの頬から手を離した。
そして、「いきましょう」と今度ははじめの手を引いて歩み出した。
「高遠」
「遠山です」
「あ、ごめん。…で。どこに行くか、そろそろ教えてくれてもいいんじゃないのか?今回俺を呼んだ本当の理由」
街頭を少し早歩きに、自分の斜め前を歩く男の横顔を見つめて、はじめは尋ねた。
そんなはじめを一瞥して、高遠はクスリと笑う。
「ですから言っているではありませんか。デートですよ。今向かっているのはランチのお店です。君もお腹が空いているでしょう?お店の雰囲気も良いのですが、君のようなよく食べる学生でも満足できるブッフェ形式ですよ。料理も美味しいし、提供されるグラスワインも美味しいんです」
「………え?……デートって…比喩でも何でもなく…ガチ?」
「ガチです」
「…まじ?」
「まじです」
何でもない事のように高遠は言うが、はじめにとっては混乱でしかない。
殺人鬼とデートというのはこの際置いといて、そもそも男同士二人きりでデートとは何なのだろうか。
いや、もしかしたら、高遠は昔イギリスにいたというし、イタリアでも暮らした事があるという。
ならば、自分が知らないだけで、男同士、友達同士で出かけるのも、向こうではデートと言うのかもしれない。
外国では挨拶でキスなんかしてしまうくらいなのだから、何でもかんでもデートと呼ぶ事くらいあってもおかしくないだろうと、そうはじめは一人納得した。
それでも聞いておきたい不安感と好奇心
から、はじめはおずおずと口を開く。
「じ、じゃあさ、お前が確かめたい事って、なに?」
「…それはまだ言えません。結論が出た時には、きちんと教えます。それでいいですか?」
高遠の問い掛けに、はじめは渋々ながら頷いた。
そう答えた高遠の顔は、はじめも今まで見た事のない顔だったのだ。少し思い悩んだようなもの悲しさを覚える表情。だから、不本意ながらも今は余計な事は聞かないでおこうと、そう思った。
気づけば日はとっぷりと暮れていた。
時刻はまだ17時を過ぎたくらいだが、冬の日照時間の短さを改めて実感する。
街はネオンで未だに明るく、場所によっては昼間よりも明るい。
それでもはじめは、少しだけホッとした。
というのも、本人は何を思ってそうしているのかしれないが、高遠という男はやはり実に大胆不敵なのである。
何を今更…と思われるかもしれない。
しかし、指名手配犯にもかかわらず、高遠は何か変装するということもなければ、周りの目を気にするということもしない。
まあ、だからと言ってあの変装とも呼べない仮面を付けて来られても困るのだが、何も変装なしの指名手配犯と一緒にいるというのも、それはそれではじめの方がそわそわしてしまったくらいだ。
この殺人鬼を捕まえたい、捕まればいいと思う反面、このままでは見つかってしまうのではないかと心配になった事もまた真実で、途中、遠回しではあるが変装を勧めてみたりもしたが、「君とデートをしているのは私なのに、他の誰かになれと?」と、分かりやすいくらいに不機嫌な瞳を向けられれば謝るしかない。
隠そうと思うから見つかる、と、マジックのネタばらしのような事を高遠は言った。
それでも、一緒にいる自分の方が気になって仕方がないと言うはじめに、最終的には、気持ちばかりの変装ではあるが、高遠は眼鏡をかけてくれた。
その眼鏡姿は、初めて高遠と会った時を思い出す。
当時は随分柔和で気弱な男という印象を持っていたが、今隣にいる男からはそんな印象は一切感じられない。
それもまた違和感ではある。
だからと言って今更あのキャラクターで接されても対応に困るわけだが…
ランチの後はマジックショーを見に行って、それから軽くカフェに入って小腹を満たし、今に至る。
なかなかに充実した一日だったとはじめは思った。その相手が高遠でなければ、全力で喜びと感謝を示していただろう程に。
「高…遠山さん、今日は一日どうもありがとうございました」
半ば強制的のものではあったが、それでも一応礼儀としてお礼は言う。
高遠相手に、というのが妙にくすぐったいというか、恥ずかいというか、モヤモヤとして、言い方は思った以上に照れ隠しと分かる程に雑で荒々しくなったけれど。
そう自分でも気づいたものだから、はじめは早口に「じゃ!」と片手を挙げて踵を返し、その場を立ち去る。
否、立ち去ろうとしたのだ。
けれど、それは高遠によって阻まれる。
ポケットに突っ込んだままの方の腕を掴まれて、引き止められる。
「な、なんだよ」
「それはこっちの台詞ですよ。どこに行くつもりですか?」
「いや、夜だし、御飯あるし、家に帰ろうと…」
そう言うはじめに、高遠は何を言ってるんだと言わんばかりに口端を吊り上げ微笑みかける。
「金田一くん、夜はこれからですよ?それに、言ったではありませんか。この三連休、君の時間を貰うと」
「へ!?」
「それに、君のお母様には連絡を入れておきました。この三連休は友人の家に泊まるとね」
「嘘つけ!いつそんなこと、が…」
そう怒鳴るはじめの目の前に、高遠は携帯電話を差し出した。他でもない、はじめ自身の携帯電話を。
いつ、どうやって、なんて疑問をぶつけるのも今更な気がするが、そう怒鳴らずにはいられない。
というか、そもそもいつの間にそんな連絡を母にしていたのだろうか。本当に油断のならない男である。
「返せよ、俺のケータイ!」
「嫌です」
携帯めがけて飛びかかってみても、ひょいと交わされる。
その上、勢いのままに転びそうになるはじめを受け止める余裕がある所がまた一層気に食わない。
先程した礼を返して欲しいと思いながら、悔しさに高遠を睨みつけても、怯むはずもない。
むしろ、怯んだのははじめの方だった。
抱きとめられた体、腰をぐいと引き寄せられ、まるで、いや、どこからどう見ても高遠に抱きしめられた状態になった。
「な、なんだよ」
「ディナーにエスコートしようと思いまして」
そう言って高遠は、はじめの腰をさらに引き寄せる。
それはつまり、はじめの意思を確認する気はないということ。完結に言うなれば、逃さない、ということだ。
「わかったよ」
諦めに、ため息も体の力も抜ける。
「それでは向かいましょうか」
こうして屈辱的にエスコートされたディナーは、金田一家では絶対来ることのないような店だった。
ドレスコードは特にないと高遠は言っていたが、思わず自分の今日の服装を見て、割とマシなデザインのチノパンを履いて来ていたことに少し安心した程だ。
メニューを渡されても何の事だかさっぱりで、そんなはじめに代わって高遠が適当に注文した料理はコース料理だった。
普段どんなお洒落な場でも雰囲気やマナーなど気にせず、ガツガツ食べたり、ズルズルと音を立ててスープを飲んだりするというのに、それを今日は珍しく空気を読まされた気がする。
他の客の雰囲気もそれを許さない気がする、というのも理由の一つではあるが、変に高遠の存在を目立たせてはいけない気がする、という理由が一番大きい。
使い慣れないナイフとフォークでいつもよりは行儀良く食事するはじめの姿を、彼の幼馴染が見たらきっと褒めちぎっているだろう。
「やれば出来るではありませんか」
そんな幼馴染の代わりに、今日は目の前の指名手配犯が褒めてくれた。上から目線で。
「うるせぇ。そーゆーイヤミは明智さんだけで十分だっての!」
けっと吐き捨てるように言ったはじめの正面で、高遠は口元に微かに浮かべていた笑みを消した。
「な、なんだよ」
無表情の黄金の瞳に射抜かれて、ゾッとした。血の気が引くとはこのことなのだろう。
そんなはじめの様子に気づいたのか、高遠は「なんでもありません」と言って目を閉じた。
それと同時に彼の纏っていた空気も、少しだけ柔らかくなった気がする。
そして再び、緩やかに口端を吊り上げると、変わらず鋭い金色の瞳ではじめを見つめて言う。
「…ただ、明智警視と比べられているようで、良い気はしませんがね」
「はあ?」
「君、あの警視とこういう食事にいったりするのですか?」
「え。いや、こんなシャレた店には来た事ねーよ」
「…そうですか」
そう言った高遠は、スッと手を挙げて店員を呼んだ。
そしてメニューを開いて注文する。
しばらくして運ばれて来たのは赤ワインだった。
高遠にそのエチケットを見せて何かを話した後、それを一緒に持ってきたワイングラスにトクトクと心地好い音を立てて注ぐ。高遠の前に置いたグラスと、はじめの前に置いたグラスにも。
はじめは一瞬戸惑ったものの、ワインを注ぎ終わった店員が立ち去った後、この不良少年は、無意識だろうが目を輝かせて、グラスに注がれたワインと、そして、高遠の顔を交互に見つめた。
「君も飲むでしょう?飲みやすいワインですよ」
そう言って高遠は、持ち上げたワイングラスを乾杯でもしようと言わんばかりに傾ける。
誘われるようにグラスを持った。
クスリと笑った高遠が、乾杯、と告げてグラスを軽くぶつけてくる。
赤ワインはあまり好きではないけど、お酒を飲みたい、それが不良少年の心の内だ。
味わうという事もなく、一口ゴクリと飲み込む。
その味は、確かに、お酒の味もするのだが、まるで葡萄ジュースのようにあまかった。
「うまっ!」
思わず叫んで、緊張からの喉の渇きもあって、はじめは一息にグラスを空けた。
空のグラスに再びワインが注がれる。
それをまるで、本物のジュースのように食事の合間に勢いよく煽る。
それを繰り返した。
もちろん、どんなに飲みやすくとも、ワインはワインである。
デザートが出てくる頃には、もう、はじめは完全に出来上がっていたー…
続