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【一般】ブータン旅行記


ブータン旅行〜準備編〜

1日目(家→関西空港→バンコク)2012年3月7日

2日目(バンコク→パロ)2012年3月8日

3日目(タクツァン僧院〜ホームステイ) 2012年3月9日

4日目(パロ〜プナカ〜ウォンディフォダン ) 2012年 3月10日

5日目(ウォンディ・フォダン→ティンプー )2012年3月 11日

6日目(ティンプー→パロ)2012年3月12日

7日目(パロ→空港→欠航→パロ) 2012年3月13日

8日目(パロ→バンコク→帰国) 2012年3月14日




(他の旅行記や感想はこちら

【一般】木下大サーカス鑑賞感想

いっぺん行ってみたいと前から思ってたんですが、本日ついに行ってきました!
詳細は公式サイトhttp://www.kinoshita-circus.co.jp/をどうぞ、ですが(^^)

シルク・ドゥ・ソレイユも良いけれども、日本の昔からのサーカスにも興味があって。
ちょうど今、大阪に来ていることを知ったもので、これは行かねばなるまい、と♪

シルクってチケット代どのくらいだっけ?なんか1万円近くしたようなうろ覚えの記憶があるんだけども、木下は自由席(=一般席)だと当日券でも2800円!指定席で一番良い席を当日券で買っても4800円とかいうリーズナブルさにびっくり☆
ああ、庶民のサーカスだなぁ、としみじみ。

急遽決めたせいで前売り券はもう販売終了となっていたので、恐る恐る当日券狙いで行ってみたらば、なんとかぎりぎりとれました。
でも満員御礼の大盛況でした。

以下は公演内容ばれになりますので、見に行く予定の方は回れ右ください☆









続きを読む

【ブータン旅行記】8日目(パロ→バンコク→帰国)

朝食にクレが出たーっ!\(^O^)/
蕎麦粉のパンケーキ。
実はこれも食べたいとリクエストしてたんですが、食べさせてくれるレストランがないとのことで諦めてたら…。まさか私にこれを食べさせるために欠航したんじゃなかろうな( ̄〜 ̄;)
味はまんま蕎麦風味のパンケーキでした。普通のパンケーキよりも蕎麦色。

そして食堂の下にヤクの剥製(作り物?)があったので、パチリ。
うーん、牛との区別がよくわからない…。角が派手かな?


5時に部屋の前にスーツケースを出しておいたら回収してくれるとの話でしたが、基本的に外人の言うことは信用しないようにしている(日本人の感覚からすると、いい加減やからねぇ)ので自力で5時前にロビーまで運んだら、すでに回収の済んだスーツケースの山が。…やっぱり信用しなくて良かった(^o^;

このホテルは、4代目王様の戴冠式の時に賓客の宿泊のために建てた豪華ホテルらしいんですが…古いだけに設備はあるものの性能がイマイチでした。
電気ストーブはあるけどちっとも部屋がぬくくならなくて。寒いので、部屋がツインだったのでもう片方のベッドからも布団をはぎ取って2枚かけてたけど寒かった…。
ドライヤーがあったのはびっくりしたけど。


3台目か4台目の最終車(ワゴン車とマイクロバスでのピストン輸送だった)で空港着。
また荷物チェックだの出国審査だの。
そして7時。出発時刻を聞いてみたら、天候次第とのこと(T_T)

空港の無料ネットでパロの天気予報を見る。降水確率60%。明日は80%。明後日は晴れると。
私は明後日まで出国できないんでしょうか…。有視界飛行だもんなぁ。
雨季はよく欠航するけど、3月はめったに欠航しないとチェンチョさんは言ってたのに(Тωヽ)

8:15、なんかさっきから晴れてるんだけど…と思ったら、来たーーーーーっ!\(^O^)/私らの乗る飛行機がパロ空港に来たっ(≧▼≦)到着できたーっ!
たかが飛行機が空港に降り立つのを見てこんなに嬉しかったことはない…。あちこちで乗客が拍手や万歳してるよ!
あとは私らの離陸まで天候がもってくれますように!

添乗員さんに聞いたら、欠航証明書は英語で「フライト・キャンセル・ドキュメント」と言うらしい。
あと、バンコクから関空までのタイ航空のチケットは、ドュルク航空が手配してるはずだけど、乗り継ぎのバンコクでタイ航空のカウンターに旧チケットを見せたら手配ができてたらそのまま発券してくれるらしい。

8:45搭乗開始!
欠航証明書はバンコクで受け取れと言われました。

9時離陸。
ブータンを離れがたかった私の気持ちを整理させるための欠航だったかのようだ……と思いながら機内からまた写真。やっぱり山が近いw (添付写真参照)

9:40頃、経由地なインドのバグドグラに着陸。
着陸直前に、自分の乗ってる飛行機の影が地上に映っていて面白かったのでパチリ☆
バグドグラってどこか知らないですが…近っ!大阪と東京くらいの距離ですか?

降りる人達と新たに乗る人達が入れ替わり、10時すぎに再び離陸。


機内で、隣席のインド人がスッチーさんに食ってかかってて、私の英語力じゃ、詳しくはわからなかったですが、どうやら欠航のせいでスケジュールが狂った、どうしてくれる!さらに俺はベジタリアンじゃないのに、機内食がベジタリアン食しか残ってないのはどういうことだ!とか言ってるような気がしました。

そのインド人が一息ついた隙に、私は「欠航証明書ってどこでもらえるの?」と聞いてみたら、スッチーさんは知らないと言って、ちょっと待ってと言って去り、二度と戻ってきませんでした。
ええ、もう、外人スッチーにはよくあることで( -_-)私の英単語会話がよくわからないから逃げたっぽい。

なので、次に他のスッチーさんに、今度はそのへんの紙に「欠航証明書、どこでもらえるの?」と英文で書いて渡したら、ちょっと待ってと言われ、ちゃんと戻ってきて答えてくれました!\(^o^)/

ああ、やっぱり私の壊滅的にブロークンすぎる英単語会話が問題なのかorz
文字にすると、ちゃんと考えて書くから、文法もだいたい合ってるんだと思います。わからない単語は携帯に入ってる簡易和英辞典を頼りになんとかしました。

で、証明書は私のメアドにメールで送ってくれるそうで、ドュルク航空の地上スタッフに言うように言われました。


14時頃(タイ時刻。ブータン時刻だと13時)、着陸。
飛行機から出たすぐのところにタイ航空のスタッフが紙を掲げて待っていて、私の名前を見つけました!

その紙に、私の新たな飛行機の時刻が書いてありました!23:15!
パロ空港のネットで調べたら、関空行きはバンコクを8:30発、11時発、23:15発、00:40発だと知っていたので、パロを離陸した時点で、早くても23:15発だなと予想してましたが、可能な時刻で最早の飛行機になっていて良かったです。9時間もバンコクの空港で待たなきゃいけないけども。
8:30とかだったら、バンコクに泊まらなきゃならないし。

そして、今回はいったんタイに入国して、預けたスーツケースを受け取って、タイ航空に預け直さなければならなかったので、入国しましたが、行きと違って入国審査場はすいてました(^o^;
しかし、出入国カードに書く項目で「宿泊ホテル」という欄があるのですが、別にタイじゃ宿泊しないので空欄にしていたら、入国審査官に「書け!」と横柄に言われて、「荷物を預け直すだけでタイには泊まらない!」と説明しましたが、またも通じない英語で時間がかかりました。
最後には不満そうに審査官が何か宿泊欄に書き込んでましたが。そんな文句言われてもよ〜。


次にドュルク航空の地上スタッフを探しました。
行きにチェックインしたカウンターには予想通りドュルク航空スタッフはおらず(1日に1便か2便くらいしかないみたいなので)、その付近で暇そうにしてる空港職員に聞いたら、無人のドュルク航空のカウンターに連れていかれ、「ここだ」と言われて放置されました。
いや、あの、誰もいないんですが(;^_^A

カウンターに電話番号が書いてあったので、これに電話したらいいのかな?と首をかしげていると、別の空港職員が声をかけてくれて、私の用件を聞いて、ドュルク航空スタッフを呼び出してくれました!

やっぱり今回も筆談のほうが通じましたw
口で説明してもわかってもらえないのに、書き付けを見せたら一発。
後日メールで証明書を送ってくれる約束を取り付けました。
やれやれ。


あとは、タイ航空のチェックイン開始時刻まで空港内をふらふらするだけです。入国したから外に出てもいいですが…暑い(*_*)
とりあえずバンコクまでは着いたことを萩原さんに電話入れました。
海外旅行保険に、飛行機の遅延損害金のがついてて良かった。たったの2万円までですが、遅延に伴う国際電話の料金も補償されるので。(このために欠航証明書をなんとか入手しようとしてました)

【後日の請求書を見たら、国際通話やメールの代金は、総額2585円でした。うーん、小さくはないけれども、この金額のために欠航証明書入手にあんなに苦労したのかと思うと、微妙(^^;)内訳は電話発信料が1725円、着信料が660円、iモードが200円。着信料の存在が結構大きいなぁ】

18時…暇です。
空港内施設案内を見てたら、リラックスルームがあったので、よし、これに行こう!と思ったら、出国審査後エリアにしかありませんでしたorz
スーツケースの受け取りと預け直しさえなければ、今ごろリラックスルームにいれたのにーっ!
タイ航空がチェックインを始める21:15まで出国審査も受けれません…。

3階のショップ街を見ていても、今1バーツが何円なのかがわからなくて(これだけ海外行きまくってるのに、いまだに両替店のレートの見方がわからない←)、1時間380バーツのマッサージって安いのかな?高いのかな?

そして「キン・ラーメン(和食)」と書いてある店を見て、とうとうラーメンは中華ではなく和食になったんだなぁと、ちょっと笑いました(^^)

紙パックの250ml程度のジュースが25バーツ、トム・ヤン・クンが220バーツ、フレッシュココナッツジュースが95バーツ、グァバシェイクが75バーツ。

…60分マッサージが380バーツって、無茶苦茶安いじゃないですか!
【後日クレジットカードの請求書を見たら、1000円しませんでした!】
でも、普通のマッサージだったのが残念です。私はアクロバティックな古式ゆかしいタイマッサージが好きなので。
しかーし、風邪のせいで凝り固まっていた筋肉がほぐされて、少しは楽になりました。

で、そこはかとなく大抵の食事にパクチーが混ざってたブータン生活のおかげで「かなかなはレベルが1上がった!パクチーが食べられるようになった!」です。
相変わらず好きじゃないですけど、1週間前までの「うげぇっ!」という状態から考えると格段の進歩です。

あと、トム・ヤン・クンって、タイ料理の超辛いスープとして有名ですが…エマ・ダツィを知ってしまったあとでは、「唐辛子の破片しか入ってないやん。全部あわせても唐辛子数本分くらい?けっ、エマ・ダツィなんか唐辛子数十本がまるごと入ってるし!」とかw
まぁ、トム・ヤン・クンも辛くて涙目に鼻が凄いことになるわけですが、エマ・ダツィと違って完食可能な辛さですわ。
というわけで、夕飯にトム・ヤン・クンとココナッツジュースを食べましたw
ココナッツはちょっとまだ若くて、果肉が硬くて食べられなかったのが残念。

バンコクの空港はお土産物が充実してますね〜。パロの空港は職場に持って行けるような消えものお土産がなくって、かなり困りました。

というわけで、チェックイン時刻にタイ航空のカウンターに行ったら、もう出発時刻が過ぎてる旧チケットを出したので係員がびっくりしておりましたが、事情を説明したら、手続きがちゃんとできてたようで、すぐに搭乗券がもらえました。

というわけで、無事に翌朝、関空に到着できたのでした。
まさか旅行最後にこんなに印象に残るトラブルに出くわすたぁwww
でも、ほんとにまたブータンは行きたいです。タシガンとかの東ブータンや中央ブータンは行ってないし♪
でも今度はインドから陸路で出入国したいような気分もw


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【ブータン旅行記】7日目(パロ→空港→欠航→パロ)

朝食はホテルのレストランにて。
また、何がいいかとざっくりした聞き方をされたんですが、向こうにあるものを言わせてみたら、トーストと目玉焼き(調理法は今回は聞かれなかった)と…おかゆと、豆スープもありました!これは言えばラーメンもある!?←ねぇよ(^o^;

おかゆは、マスターが日本語で言い直してくれたので理解できました。
豆乳粥みたいな味でしたが、これに蜂蜜を入れて食べるんだと言われて試してみたら…甘い蜂蜜風味のお粥ってビミョーですね〜。むしろ塩か醤油を入れたい味でしたので。

豆スープは、トマトベースの普通の洋式で、美味しかったです。


8:40ホテル発。
あれだね〜。
毎日朝から晩まで、寝る時以外はほぼずーっと一緒にいると、情が移るねぇ。
風邪も移されたけど(爆)やはりもっと早くマスクを押しつけるべきだった…。
ブータン人もマスクをしている人を多少は見かけるんですが、なぜか皆さん真っ黒なマスクなので、最初見た時はびっくりしました。

今までも添乗員だの現地ガイドだのと何日も一緒だったことはありますが、私1人だけに専属ガイドと専属運転手ですから…。まぁ、それだけでなく、タクツァン僧院での多大なる助けとかもあったからでしょうけども。

あと、ブータン人は、基本的にあったかい人が多いですね。ホテルのレストランのマスターすら別れがたい気持ちになりました。
ちょっと日本語喋る気のいいおっちゃんでした。

ガイドや運転手と、お別れの時に涙腺が弛んだのはさすがに初めてです。
いつもはきっぱりと「向こうは仕事、仕事。これっきりの付き合い」と割り切って、添乗員さんに「うちに遊びに来てね」と住所を渡されても、現地ガイドさんにメアドを渡されても、「社交辞令、社交辞令」と割り切って、一切連絡取ろうとはしませんでしたが、今回だけは「またこの人たちに会いたい!」と本気で思いました。

……いつもは1回行った国には2度は行かずに他の行ってない国を優先して行ってたんですが……ブータンは本気でまた行きたいです。
お別れの時にチェンチョさんが「また絶対に会いましょう!」と言ってたけど、おいこら、本気にするぞwww

私の職業内容を以前説明したら、弟さんのレントゲンを診てほしがってまして「レントゲンは苦手だし、そこまで細かくはわからないからCTにしてくれ」と言ったら、さっそくCTを撮ってくれるようにと(ブータンはCTも無料)知り合いの医師に私の目の前で電話かけて頼んでましたw

で、もしCTの診断に困って必要があれば、私のメアドに画像送ってくれたら診るからとメアドを渡しました。いつもの私なら、絶対にそんなことはしません。メアド教えてくれと言われても、ガイドや添乗員とはこれっきりと線を引いちゃいます。社交辞令でも「連絡してね」なんて言わない。
私の持てるスキルを無償で提供してもいいと思えるくらい、お世話になったんですよね〜(^^)

CTと言えば、最初チェンチョさんは「CTは怖いから」と言ってて、何が怖いのかと聞いたら、以前CTで死んだ人がいる……て、んなアホなーっ!
造影剤使ってたなら可能性0ではないけれども、使ってないのにって……それは重症すぎてたまたまCT撮ってる最中に亡くなったってことでは(^^;)
誤解はしっかり解いておきましたw


スーツケースを預けて、これは日本まで行くのか、バンコクでピックアップ(いったんタイに入国して荷物を受け取って預け直す)しなきゃならないのかを聞いてみたら、日本まで行くように手配してくれました。が、本当に日本まで行ってくれるのかは神のみぞ知る…。
とりあえず、またあの大行列のタイの入国審査を受けなくてよさそうでホッとしました。

出国審査後の免税店はとても小さく、お酒、ブランド化粧品、ブランド香水、ブランド時計・アクセサリー、王様バッヂ(王様の写真の入ったバッヂ)、世界中の免税店で見かけるチョコレート…と、あまりブータン産のものはありませんでした。
その横に「スナック」と書かれた小さな店があり、そこに飲み物やおつまみと一緒に、ブータン産のハーブティーや蜂蜜、ジャム、石鹸あたりが少しありましたが、職場のお土産にちょうどいいような大きさのものが見当たらず……。

11時にパロ発の飛行機ですが、待合室にいると、アンケートを書いてくれるように頼まれました。
ブータン旅行のきっかけだの、なにが良かったか悪かったかだの、ブータン旅行の質を改善するための。
ただし全部英語だったので、わからないとこは「英語わからん」と英語で書き、質問の意味はわかるけど選択肢の意味がわからんときは、空いてるスペースにローマ字で書き込みましたw
学歴も聞かれたんだけど、大学院って英語で何?(;^_^A
【今調べてみたら、graduate schoolなのかな?】


で、すでに11:15なわけだが、出発どころか搭乗すら始まりません。
遅延してますね〜。
何かアナウンスがされてますが、英語なのでさっぱり…。タイでの乗り継ぎに間に合いますように。

11時半…何回かアナウンスはされてましたが、相変わらず聞き取れないので、そのへんのスタッフらしき人にきいてみました。
2時間遅れで13時出発になったそうですorz

12:20、カップ麺の無料サービスが始まりました。
いや、添乗員付きのJTB日本人団体客(中年から老年の人ばかりでした)の声が聞こえてきて知ったんですが。
私は、まだお腹すいてないし、いいや。

ミネラルウォーターのサービスも始まりました。て、もう13時なんですがっ!
何時になったら搭乗開始するの!?

14時半…まだ飛行機が来ません。滑走路を見ても1機も無い。さすがにお腹がすいてきました。
乗り継ぎ、もう間に合わないことを覚悟したほうが良さそうかもです。
はぁ、携帯でこの長文旅行記を書き終わっちゃったよ。充電器の充電が切れたら終わりだから、ちょっと携帯切りますか。

15:15…サンドイッチと春巻1/2とコーヒー牛乳が配給されました。
何故春巻…。
乗り継ぎどうすれば…と空港スタッフに言ったら、乗り継ぎ予定便の情報を書類に書くように言われました。どうやらドュルク航空が予約の取り直しをしてくれるらしい。
書類はもちろん英語でしたが、一部を除いてわからないところはなかったので、なんとか書けました。出入国カードと項目が似てたのでw
でも英語がわからなくて空欄にしたところは、どうやら私の目的地(関空)を書くところだったらしく、空港職員が書いてくれました。

なんでも、飛行機がカルカッタから飛ばない?カルカッタからは50分くらいでパロに着くらしいが…。
とりあえず、ブータン人な空港職員はやはり親切で、私の通じない英語をなんとか理解しようとしてくれる。欧米人じゃこうはいかないので、有難い。

16時半、空港の無料ネット(2台あるが、通信速度が無茶苦茶遅い!そのせいで行列が……)を見たらカルカッタは晴れ。なのになんで?とJTBの添乗員さんに何となく話し掛けたら、パロ空港が曇ってるのが問題で、パロに着陸できないから緊急にカルカッタに着陸しているだけとのこと。

ああ、昨日山火事があったのは知ってたけど、それで曇って欠航するたぁ…。農家のおじさんの不注意の山火事だそうです。軍が消火に向かってましたが。


パロ空港は17時半までしか使えない(レーダーとかなくて視認飛行だから)とのことで、どうやら欠航しそうらしい。
欠航が確定したのかどうか聞いても私の英語力ではよくわからないので、荷物チェックの係員が暇そうだったので聞いてみたら、私の名前を聞かれたので、なんで?と思ったら、次にガイドの名前を聞かれ、チェンチョと言ったら、どうやらガイド仲間(単なる知り合い?)なのか、チェンチョさんに電話をかけてくれた。チェンチョって名前、多いらしいのに、なんで一発でわかった!?

電話の向こうでチェンチョさんが「電話来ると思った」と言っていて、「萩原さん(私が申し込んだ旅行代理店「株式会社PINK」の担当さん)も心配していた」と。
フライトがスケジュール通り行ったかどうか、日本で確認してくれてるんだ!?凄い!

チェンチョさんによると、欠航したら、ドュルク航空がホテルを確保して、航空機の予約の取り直しをしてくれるらしい。支払いもドュルク航空がするらしいが、添乗員さんが自分のお客に「3万円くらい持ってますか?」と確認してるのが聞こえてきたので、いったんは自分で払わないといけないのかな?

欠航が決定したら、チェンチョさんは来れないけど、代わりにチェンチョさんの友達のガイドさんをよこしてくれるらしい。まあ、ドュルク航空がどうにかしてくれるっぽいけど、それは心強い。

と、書くために17時に携帯を起動したら、不在着信が。東京の番号ということは、ひょっとして萩原さんか?

添乗員さんが自分のお客に「飛行機は一応カルカッタを飛び立ったから、17時半の天候によるけれど、まだ希望はあるから17時半まで待って」と言ってるのが聞こえる。

ほんまに英語が不自由だと、日本人観光客がどこに行ってもいることには、情報収集的に感謝せざるを得ない(^o^;普段はちょっとウザイと思ってるんだけど。←私も日本人観光客の1人のくせにw

デリー行きが欠航だとアナウンスが入った!私の英語力でもわかった。
私のバンコク行きはどうなの!?
頼むから運航できますように(>人<)

バンコクに行きさえしたら、1日3便大阪行きが出てる(ネットで確認した)のでどうにか明日中に帰国できる。私は1人だから、新たな座席確保は団体より融通がきくはず。
やっぱり死に物狂いで引越荷造り終わらせてくるんだったorz
木曜のバイト、念のため休みとっといて良かった。

デリー行きのお客達が出ていって、待合室が寂しくなった。


17時半。JTBの添乗員さんが私に話しかけてきた!え、誰かJTBのお客と間違えてる!?と思ったら、「同じ日本人じゃないですか(^^)」と!感動した……。

どうやら欠航決定らしいけども、アナウンスを待っている、と。
ドュルク航空が明日臨時便を飛ばしてくれるそうです。ホテルも食事もドュルク航空持ち。ホテルはお客が多いから、分散されるだろう、と。ドュルク航空が用意したバスに乗ればOKと。
有難い情報をいただきました。ありがとう、親切な添乗員さんm(__)m
添乗員さんは、自分のお客の搭乗券を集めていました。どうやら手続きに必要らしいです。
アナウンス、まだかなぁ。

17:45。アナウンスがないまま添乗員さんに言われて出入国審査場を逆流。
飛行機はカルカッタに引き返したそうです。乗客も大変ね。

さっきチェンチョさんに電話してくれた親切なおしさんが、また電話や誘導をしてくれました。ドゥルク航空カウンターでの手続きとかも係員に言ってくれて、さらに荷物までホテル行きワゴン車まで運んでくれて…。
有難いんですが、貴方、誰!?まるで私のガイドのようです(^o^;

写真のが、カウンターでもらった欠航乗客証明みたいの。これをホテルで見せたら無料で宿泊できるそうです。


ホテルについた。オラタンホテル。また添乗員さんと会った。「同じホテルでしたね〜。ここ、いいホテルですよ」と。そうなのか〜。

しかし、部屋は本館から遠く離れたコテージだった…。
さっきの東京からの着信に電話してみたら、やっぱり萩原さんだった!
日本時間は今22時頃だというのに、ご親切にも情報収集してくれている、と。
日本の誰かに連絡したほうが良いなら連絡するけども、とも言ってくれた!
え、こんなサポート(?)がしっかりした会社だったなんて……PINK
普通この時間は営業時間外でしょ!?連絡取りたくても緊急番号すら設定されてない旅行会社も多いのよ!
……たまたまとはいえ、この会社に申し込んだ私がラッキーすぎる。

チェンチョさんにも電話して、部屋番号を伝えた。
さて、私はこれからどうしたらいいの?
明日の飛行機は何時なの?
夕飯は?朝食は?この机の上のポットの水は、日本人でも飲めるの?
とか悩んでたら、19時半、停電。
ぜーんぶ電気消えた。浜松エアパークで買った太陽電池のLEDライトが役に立つ時が!自衛隊、ありがとう(違)

電気ストーブも消えたから、寒いなぁ。手持ちのカイロが尽きたら、凍死できるなぁ。
隣の部屋の外人が、停電に慌てて、壁を叩いて私に話し掛けてきた。
こっちも停電してるよ〜と壁越しに伝えたら、安心したようだ。
ブータンは停電が多いってガイドブックにも書いてあるやん。


チェンチョさんが来た!ティンプーからパロまでの暗い道が怖いからと言って奥さん同伴でw
チェンチョさんは「今朝別れた時、また会えると思ってた!でもこんなに早くまた会えるとは思ってなかった」と大笑い。私も大笑いw
シャラップさんは、私のツアーのあとはお休みだと聞いてたのに、急きょ別の仕事が入ったとかで、もうティンプーでもパロでもないとこに発ってしまったそうです。ちょっと残念。

チェンチョさんが、机の上のろうそくを点けてくれた……て、ろうそくがあることに全く気付いてなかったし、気づいててもインテリアだと思ってただろう私orz
そうか、停電の時のためのろうそくだったのか。

皆、もう夕飯食べてるよと言われた。…誰か教えてよーっ!知らなかったよ。
懐中電灯持参のチェンチョさんに連れられてレストランに行き、蝋燭の光の中、食事。バイキングだけど、ろくに見えないw
何回か停電が数秒直ってはまた停電になった。

チェンチョさんや萩原さんが頑張って連絡あちこちにしまくってくれて、明日は5時半にチェックアウトして6時にホテル発に決まったと教えてくれた。
レストランで4時半から朝食も始まるらしい。

今晩は停電でお湯も出ないからお風呂はやめておこう。
もう、笑うしかないから、私は明るく元気いっぱいで、萩原さんがびっくりしていたw

ドュルク航空は貧乏なのに、今回の費用は全部持ってくれるそうです、チェンチョさんによると。
やっぱり観光に力入れてる国だからかな?
以前他国で欠航を経験した人の話では、ホテルとか飛行機の予約取り直しとか全部自分でやらされたみたいなことをかつて聞いたので、私はたぶんラッキーなんだと思います。

そして、チェンチョさんの話でやっと、あの空港での親切なおじさんの正体が!
飛行機が遅延の時点で、チェンチョさんは空港内の友達に私を探すように頼んでくれてたそうです(ガイドは空港内に入ってはいけないので)。
でも探しても見つからなかったそうで。
私、ずっと待合室にいたけどな(;^_^Aどんな探し方…w

だから私の名前聞いて、チェンチョさんのことも知ってたんだなぁ。
チェンチョさんは、遅延の時点で私が連絡してくると思ってたそうで。
いや、欠航じゃなきゃ、わざわざ手をわずらわせることもないかな〜、乗り継ぎできなかったらドュルク航空の人が予約取り直してくれるって言ってたし。

そして、チェンチョさんの風邪は奥さんにもシャラップさんにも伝染していたことが判明…をい(^o^;
あ、チェンチョさんが帰ったあと、電気ついた。21時。
いやぁ、明るい室内っていいですね!物にぶつからないですむし。やっぱり早く原発動かしましょう!



8日目に続く。


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【ブータン旅行記】6日目(ティンプー→パロ)

朝食は、ホットミルクをかけたチョコレートシリアル、トースト、目玉焼き、紅茶。見事に外国人向け。

今日の出発は9時半なので(郵便局とかが開くのは9時…とブータンで表示されていると、実際はだいたい9時半頃になるそうです。時間にルーズ)、朝食後にティンプーの街ウォッチング。いろんな学校の制服のキラやゴを着た子供達が通ってました。手にはお弁当と水筒入りの竹籠を持って。

ところで、チェンチョさんが「タクツァン僧院に行った日はドツォに入ったほうがいい。そうしたら脚も腰も痛くならない」と言ってて、薬草浮かせたただの風呂にそこまでの効果があるわけないと思ってましたが…あの疲労困憊っぷりの久々の運動だったというのに、いまだに筋肉痛が全くきてないんですがっ!
これは凄い。我が身で体験しつつも全く信じられませんw(°0°)w


そういえば昨日は3.11でしたが、私の行ったチャンガンカ・ラカンですが、午前中には王様達も来られての日本に向けてのお祈り(復興祈願?鎮魂?)をしてくださっていたそうです。
本当に、半端ない親日国なブータン…これからも良き友人でいてほしいものです。

昨日のチャンガンカ・ラカンでは、ついに勇気を振り絞って(?)、チェンチョさんにマスクを押し付けましたが、今日も同じマスクをしてたので、「それ、使い捨てだから。1日1回は新しいのに替えたほうがいい」と言って、手持ちのマスクをあげました。
ブータンじゃマスクする人がほとんどいないので、入手困難なのだろうと思います。

最初は息苦しいからと嫌がってる感じがしたので、「マスクしてるほうが喉の保湿になって楽になるよ」と教えてあげたら、「全然知りませんでした!埃をガードするだけかと思ってました」と言って、それからはちゃんとマスクをしてくれました。
ブータン人の医療知識って、本当に低いなぁ。

この頃から、私はチェンチョさんと喋っている時でも、わかる範囲で英単語を使うようにしてました。そのほうがチェンチョさんに正確に伝わるし、シャラップさんも何の話をしてるのかわかって、退屈が多少マシになってそうな感じでしたので。


今日は自力でキラを着てみました。なんとなく着れたと思いましたが、チェンチョさんに会ったら、だぶつき部分の引っ張りが足りないと言われました。
キラの右端にだぶつき部分の一部を潜らせるくらい引っ張らないと綺麗な着方ではないそうです。

あと、ワンジュとテュゴも、何故か妙に皺になってたんですが、ブローチやピンで止める位置が悪かったようです。
今日はホテルの女性スタッフが直してくれました。
さすがは本職(?)で、華麗に直してくれました(´∀`)


さて、まず最初は中央郵便局に行きました。エアメールを出したり(日本までは20ニュルタム…約40円。日本の国内じゃハガキ50円なのにね〜)、ブータンの有名な珍しい切手なんかを買いました。
十二支の切手とかもありました♪

ブータン近隣のネパールだのバングラデシュだのの国旗絵の切手とか…著作権とか大丈夫なんですか、他国の国旗絵て(^o^;

どうせなら日本の国旗切手も作ってほしいなぁ……と思ったら、ブータンと日の丸の両方が角に入った切手もありました!
どうやら日本のブータンに対する技術指導とかの写真の切手のようです。
ちょっと嬉しい(^O^)

有名なCD切手も1枚買ってみました。8cmCDに王様の写真が印刷されてるのは王様についてのお話、動植物が印刷されてるのはブータンの動植物のお話が録音されているそうです。たぶんゾンカ語だと思うので、聞いてもわからないから、見た目で選びました。

この切手はどうやって郵便物に貼るのかと聞いてみたら、チェンチョさんは爽やかに「使えないね☆コレクションして楽しむだけ」とw
使えない切手を作る郵便局♪ま、CDとしては使えますが、切手としての存在意義は(笑)というか、単なるCDを、何が何でも切手だと言い張るわけですな、ブータン人はwww

あと、その場でインスタント切手も作成できます。
自分の顔写真の切手が!
背景は王様&お妃様と、仏教画が選べます。もはやプリクラ切手。
20ニュルタムと10ニュルタムと15ニュルタムのが各4枚ずつで、1シート180ニュルタム。

ただ、残念なのは、やたら顔が真っ黄色になってしまったこと。
プリンターの性能の問題か…。いくら黄色人種でも、これじゃ黄疸だよ!な真っ黄色w


次は伝統医療院。
膝が痛い人が温蒸気で膝を温めていたり、鍼の部屋があったり、普通の診察室があったりしました。
薬はいわゆる漢方薬といいますか、ブータンの薬草や鉱石で作ったものが処方されていました。

マニ車もあちこちにあって、たくさんの患者がお祈りしていました。
しかし最近は効きがゆっくりな伝統医療よりも、西洋医療の病院のほうが患者が多いそうです。

写真不可な薬草の展示スペースもありました。
どれが何の植物なのか鉱石なのか、英語なので基本的にさっぱりわからなかったですが、効能に関しての英語はある程度わかったので、結構楽しめました。
ブータンの国花である青いケシは、骨折に効くのだそうです。あと滑膜の液体貯留にも効くと書いてあったので、関節炎に効くってことかな?


次は伝統美術(工芸)学校。
ブータンの伝統刺繍や仏像彫刻、機織り、仏画などを教える学校で、寮もあります。
基本的に6年制らしいですが、優秀だと飛び級もあります。
緻密な仏画やその他工芸品を作る練習をする学生達を見学できます。観光客だらけでしたので、人気観光ポイントなのだと思います。
入口入ってすぐの広場に、例の「仲良しの絵」のフィギュア……じゃないや、三次元立体像がっ!

会釈するとニッコリ笑顔を返してくれるブータン人学生が多かったです。年齢的には小学生高学年から高校生くらい?

日本人留学生にも会いました。
仏画コースにいて、私が日本人とわかるやいなや、凄い勢いで喋り始めました。私やチェンチョさんのように、日本語で会話できる相手に飢えていたようです。
飛び級してるくらい優秀らしいので、もう少しの辛抱だと思うから、頑張ってほしいものです。

そして、キラを着てたためか、私は、ブータン人にブータン人だと間違えられましたw


次は民族博物館。打って変わって、こちらは私以外の観光客はいませんでした。美術学校から近いのに。

何代目だったかの王妃様が、このままではブータンの伝統建築や生活様式が消えてしまうと懸念して作ったそうです。

石を重しにした板の屋根や、最上階のわざと壁を作らないようにして風を通し、屋根が吹き飛ばされないように工夫した建築が再現されていました。
水車の力で粉を曳く装置や、牛の餌を作る鍋、石臼、杵と臼、穀物貯蔵庫、ヤクの角でできた酒器、竹籠、刀、着物掛け…皮の袋。

あの〜、ブータンは殺生は…?と聞いたら、またも「これはチベットで作られたものだから大丈夫☆」と。
ほんと、ブータンの殺生禁止って、ご都合主義よねw


このあと、近くで昼食。
インド風味な焼きそば、ご飯、チリ肉?、野菜煮、ポテトのカリカリ煮?でした。


その後、民族舞踊と伝統音楽の鑑賞をしました。
本来はツェチュ(ブータンのお祭り)じゃないと見れない舞踊等のダイジェストが見れます。
野外の芝生の上がステージでした。

お客が多い時期なら無料で見れるらしいですが、今はシーズンオフで常設ではやってないとのこと。
他に見たいとお金を払っている人がいたら便乗して無料で見れるらしいですが、運悪くいなかったので、日本円にして8000円くらい(100ドルだったので円高バンザイ)を払って見ました。
やっとここまで来たのに見ないで帰るのももったいないので。

ガルーダや獅子や龍なんかのお面をつけてダイナミックに踊るのは、本当に体力がいりそうでした。

最初は歓迎の歌と踊りから始まりました。伝統的に、どんな時であっても歓迎の時にはこれを歌い踊るそうです。

次は、ツェチュ系踊り。…どうすれば携帯動画(iモーション)をネットに載せられますか?orz
ツェチュの歌やダンスは、神様がどうやって魔物を退治したか等を伝える内容なんだそうです。
このダンサーは、学歴の低い人達がよくなるそうです。

今度は王妃様の踊り?チェンチョさんの日本語は結構怪しいので、女神様あたりと間違えてそうな気がする…。
ブータンの伝統楽器のギターみたいなのを弾く仕草をしています。

またツェチュ系踊り。
勇壮です。息切れしてるのがわかります(;^_^A

標高4000mくらいに住むヤクを飼って生活しているラヤッパという民族(ブータンは多民族の集合体)の衣装での踊り。

ブータンの東北地方のブロクパという民族の衣装での踊り。

鶴の歌と踊り。

最後は輪になって盆踊りのような。
なんか参加しろと言われたので混ざってきました(´∀`)
手振りもステップもそんなに難しくはなかったですが、綺麗には踊れてない自信があります☆

しかし一番印象に残ったのは、ヤンチェンという琴?木琴みたいに棒で弦を叩きます。
3弦が1セットみたいで、ちゃんと弾けばドレミファソラシドの音階になっていました。
ちょっと棒の角度が悪いと、聞いたことのない妙な音がしましたが。
きちんと弾くと、とても澄み渡った響きの美しい楽器でした。天上の調べとかいうやつですか?(≧ω≦)


ところで、このステージが始まるまでがちょっと暇だったんですが、シャラップさんが楽しそうに遊んでたので何かと思ったら、小石で落ちてた枝を削って遊んでました。
面白い?と聞いたら、本当に楽しそうに「very interesting!」と。
…いかん、むっちゃ可愛い(≧▽≦) 

今どき、日本じゃ田舎の子供でもやるかどうか怪しいような遊び(?)で無邪気に楽しそうな27歳w
中卒のなせる業なのか!?(≧▼≦)
(すべてチェンチョさん情報wチェンチョさんは高卒らしい。ブータンには大学はわずかしかないので。さらにチェンチョさんの頃は、確か大学がなかったとか言ってはりまして、大学に行きたかったらインドに留学するしかなかったそうです。でも何を聞いてもちゃんと答えてくれるから、物知りだわ。ガイドになるには高卒以上じゃないとダメっぽい?)

私、あんまり三次元萌えはしないんだけどな(*/ω\*)
そういや、そのへんの草を手に持って嬉しそうに揺らしてたり、そのへんの犬猫をつついて遊んでたりしたな、この人。
あー、純朴ってこういうのを言うんだなぁ。゜+。(*′∇`)。+゜

ちなみに、チェンチョさんの趣味がボディービルだということは散々聞かされたので、シャラップさんの趣味をある日思い立って聞いてみたら、困ったような顔をして、「特に無い」と言ってはりました。
でも、横からチェンチョさんが「音楽聴くの、好きだよな」と助け舟(?)を出してはりました(^^)

ツアー中は、ホテル泊の時とか、ガイドさんとドライバーさんは同室で一緒に泊まるとか言ってたので、本気で1日中ずっと一緒だから、良くも悪くも深い付き合いになるんでしょうねぇ。

しかし私の見たところ、シャラップさんは興奇心旺盛で(チェンチョさんのiPadを貸してもらった時、むっちゃ嬉しそうに遊んでました。チェンチョさんはタイでそれを買ったと言ってましたが、シャラップさんは外国に行ったこともないし、どうやらiPadもとても買えないような感じで、ガイドと運転手って、それだけ給与に差があるんだなぁ、と)、なんでも楽しむ人だと思うので、趣味は無いというより、この世のすべてが趣味とかそんな感じに見えます。特定のこだわりがないだけでっ!


次は織物工場。本当は織物博物館に行く予定だったんですが、改装中でしたので代わりに。
工場も部分改装中で、本当は10人以上の織り手がいるはずなのに、6人くらいでした。

手織りの複雑な模様のキラなんかは高価で、1枚で20万円くらいしたりするようですが、織るのに1年とかかかるらしいので、さもありなん。
チェンチョさんは結婚式の時にここで衣装を買ったそうです。


このあと、街の機械織りのお店に連れて行ってもらいました。手織りは高すぎて、とても手が出ないので(^^;)
でも、機械織りのキラは、インド製が大半らしいです。

この店への案内は、「機械織りの店はシャラップが知ってるから」と、なぜかシャラップさんでした。ガイドさんでも知らない店があるんだ\(◎o◎)/!
最初、風邪でしんどいからシャラップさんに頼んだのかと思いきや……。

駐車場から店に行く途中、映画館がありまして、シャラップさんがそれを指して何か言いました。
何度も聞き直して、やっと「シネマ」と言ってることが聞き取れました……て、「シネマ」すら聞き取れない私の耳よorz
「こっちね」だけシャラップさんは日本語喋ったんですが、もっと勉強して日本語ペラペラになってください……と他力本願な私←

店では、最初にここがキラコーナーだと示された場所のを見ると、紐がついてませんでして、紐つきキラは別コーナーでした。
紐無しが売ってるってことは、自分で後で好きな紐を付けたりするんでしょうか?……と聞ける英語力があればなぁーっ!(T_T)

ここのは、まぁまぁ、勿論お土産にするにはやや高価ながらも、手が出ないことはないお値段でした(´∀`)


ティンプーからパロへの移動。

移動途中、パロ川とティンプー川が合流する橋の上でちょっと休憩。合流地点にチョルテンが3つ並んでまして、向かって左からネパール式、チベット式、ブータン式でした。

…って、西岡さんのも3代目王様のも、メモリアルチョルテン、チベット式で作られてるじゃないですか!
なんで?と聞いたら、見栄えがいいからだそうです。いいんですか、ブータン式を王様自らないがしろにして(^o^;


公務員の給料は安いと聞きましたが、実際いくらくらいなのかと聞いてみたら、350ドルくらいだそうです。3万5千円くらいか。……その割には物価、高すぎじゃないですかっ!?
で、民間人の家の家賃は、給料の60%くらいだそうですが、公務員は15%くらいですむそうです。民間人の給料レベルは聞きそびれましたが。


ブータンの(ゾンカ語でなくて)各出身村の言葉には、文字が存在せず(だからメモの習慣がなく、ブータン人は忘れっぽいらしいw)、ゾンカ語の文字は難しいので、手紙等の文字は皆英語を使っているそうです。文字が簡単だから、と、英語が選ばれたんだそうです。

そっか〜、それで皆、英語が母国語のようになって流暢なんですね。
ブータン人は中卒でも英語ペラペラなのに、日本人は大卒でもごく一部の人しかできないのは、圧倒的に英語の使用頻度が違ったからなんですね。

ゾンカ語には単語が足りないので、ゾンカ語を喋っていても、該当ゾンカ語がない部分は英語を使っていました。日本みたいに日本語翻訳しないんですね。まあ、日本でも外来語をそのまま使うこともありますけども。


またもホテルはガンテ・パレス(ブータン初日に泊まったホテル)。
部屋はこないだとは違いました。

そしてトイレがとても見晴らし良く……て、丸見えやんか、外からーっ!!(写真参照)ブータン人の思考がわからない(^^;)

もちろんカーテンひいて使用しましたとも。


夕飯はご飯、野菜煮、ケワ・ダツィ(唐辛子の代わりにジャガイモがメインだが唐辛子もそれなりに入っている)、肉煮、魚煮。

喉が痛くてもチェンチョさんはエマ・ダツィ食べてました。ブータン人、どんだけ好きなの(^o^;味覚障害なんじゃなかろうか……と思いつつ、チェンチョさんが日本に仕事で来た時の話(ブータン旅行のPRに行ってたらしい)を聞いてたら、日本食は一部を除いておいしく食べれたらしいので、味覚は大丈夫らしい。

配膳の前に、ホテルのレストランのマスターに、3人での写真を撮ってもらいました。


最初見たときは「田吾作!?」と思ってしまったゴも、すっかり見慣れておりました。

チェンチョさんだけでなく、シャラップさんともも少し喋りたいけども、英語がわからないと言ったら、ちょこちょこ話しかけてくれるようになりました……が、やっぱり言語が障害でorz
ああ、どうやったらこんな人が育つのか、生育環境を聞いてみたかったのにーっ!



7日目に続く。


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