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サクラ大戦とコードギアスR2のロロを中心に、他アニメのこともちらほらな、個人ファンの感想や二次創作系ブログです。
朝食はトースト(ブータンの食パンは日本の半分くらいの大きさが標準?でもその分薄くてパリパリで、私としてはこっちのほうが好きかもです)、卵料理(今日はスクランブルにしてみた…が、ケチャップが欲しい(Тωヽ))、紅茶(どうやらブータンにはストレートとミルクしかない模様。私はレモン派なんですが)、バナナ(日本のより小さいけど、味は同じ)、りんごジュースでした。
これも外国人向けですね。
しかし、卵料理をどうするか(目玉焼きとか)聞きにきたウェイトレスの態度がイマイチで、なんだかな〜と思ってましたが、食事を終えてレストランを出るときに「ごちそうさまでした」と思い切り日本語で言ったら、ニコニコしてたので、おそらく英語が通じない日本人に苛立ってあんな態度になった模様(^o^;
部屋を出る時に、昨晩の夕食でのミネラルウォーター代40ニュルタムを請求されました。
1リットルのミネラルウォーターで約80円か…。
8時半出発なので、朝食後30分くらいキラと格闘してみたけれども、見てわかったつもりでも、いざやってみたら覚えてないものですねぇ。
車のとこにいったらシャラップさんがいたので、チェンチョさんが来るまで着方を教わってました。
最初に「キラの着方教えて」と伝えたら(言語というより身振りで(^^;))、シャラップさんが困ったような顔をしたのでどうしたのかと思ったら、向こうの喋った英語のうち理解できた内容と様子を総合して推測するに、シャラップさんは、私は今日もキラを着たかったのに来てくれなかったから着れなかったじゃないか!と言ってるように受け取ったらしい。
いやそうじゃない、単に日本に帰国しても自力で着れるように着方を覚えたいだけだと何とか伝えたら、やっといつもの笑顔に戻ってくれました。
この人、いつも楽しそうにニコニコしてるのが良いんだよなぁ(^^)
ホテルの駐車場で他のツアーのガイドさんやドライバーさんも見てる中、シャラップさんは照れながら自分でも着てみせてくれました。キラは女性用なので、スカートの着方を男性が実演するようなもので(//∀//)すみません、恥じらいっぷりに萌えました(笑)
いやもう、あれだね。日本人も「恥じらい」を取り戻すべきですねwこんなに萌え力が強いとはっ!(≧▽≦)
《ハーフキラの着方》(添付写真参照)
1:左腰にキラの左端をあてて、固定します。裾は足首が隠れるくらいの位置に。
2:キラの右端を背中側をくぐらせ、お腹側、また背中側と、1回転半体に巻き付け、キラの右端を右腰で固定します。するとキラがだぶつきます。
3:そのだぶついた布を左方向に帆を張るように軽く引っ張って整えます。
4:だぶついて左方向に引っ張って伸ばした部分を左腰か左前腰あたりの位置で谷折りにし、お腹側にかぶせます。つまりお腹側は布が3枚重なった状態になります。背中側は布が2枚の重なり。
5:キラの両端についている紐をお腹側に回して一回しっかりと結び、そのまま背中側に回してまたお腹側まで持ってきて、きっちり縛ります。だぶつき部分もずり落ちないようにしっかりと紐で縛ります。
これで完成。
あとは先に着ていたワンジュの裾も綺麗にキラの中にたくしこんで、上からテュゴを羽織って袖をワンジュごと折り返し、前をピンやブローチで留めて出来上がり。
さて、出発。
以前、専用車でなく路線バスでブータンを回りたいと言ったお客さんがいたとのことで、チェンチョさんがその話をしてくれました。
たとえばティンプー(西ブータン)からブムタン(中央ブータン)まで長距離バスに乗ると、190ニュルタムくらいで、タクシーだと4000ニュルタムくらいかかるそうです。
バスは時刻通りに来るそうです。
ティンプーからプナカまでだと、4時間くらいかかります。トイレ休憩とか色々あるので。
そしてこういう長距離バス用のホテルもあって、途中宿泊しながら行きますが、ホテルが満室の時は、あぶれた人はバス内(とても寒い!)で寝るそうです。
(日本の夜行バスと違って、夜は休むんですね。街灯少なそうだし、クネクネ道路で危なそうだしなぁ)
以前はバスは車自体が少なかったので、週1便しかなかったそうですが、今は毎日運行しています。
こっちのバスは、いわゆるマイクロバスで、日本のより小さいです。
以前はインド製の車だったので、座席が硬くて大変だったそうですが、今は高価いけども日本製の柔らかい座席の車になって良かった、と。
最初にブータンに舗装道路を作ったのはインドで、それまでは未舗装の細い道だったのでティンプーからインド国境まで2日間かかってたのが、今は5時間で行けるそうです。
ところで、こんな何も途中にない道なのに、道端で野菜を売ってるところがありました。
シャラップさんが車を停めて買いに行ってました。今晩はティンプーの自宅に泊まるから、ついでだそうです。
ほうれん草を買ったといいつつ、パクチーの臭いもしました。
そういえばブータンでの料理には、結構普通にしれっとパクチーが入ってるので、嫌だなぁと思いつつも食べてたら、だいぶ慣れてきました。パクチーの濃度はタイほど濃くないですし。
道には牛なんかもいて、崖下の村から登ってきてるそうです。
ブータン人の名前は、ファーストネームだけで、名字がないそうです。
チェンチョという名前には意味はないけれど、シャラップというのは「知恵」という意味だそうです。
ブータン人の名前にはあまり種類がないので、チェンチョさんも学校で同じクラスに3人チェンチョさんがいたので、チェンチョ1、チェンチョ2とか、チェンチョA、チェンチョBとか呼ばれていたそうです。
名前はお坊さんにつけてもらいます。
ブータンでは、目上の人の名前を呼ぶのは失礼に当たるので、目上の人のことは「お兄さん」「おばさん」「おじいさん」等と呼ぶそうです。日本のような「さん」「様」みたいな敬称はないとのこと。
それでか!チェンチョさんがシャラップさんを「シャラップ!」と呼んでるシーンはたくさん見ましたが、シャラップさんがチェンチョさんを呼んでるシーンで「チェンチョ」と聞いた覚えがないと思ってたら……。
ドチュラ峠に着きました。10時くらい。
今日はブータン1高い山(7500m)がちゃんと見えます。そのまわりの布引山脈は7200mくらいだそうです。
横にたなびく雲かと思いきや、冠雪した布引形の山脈で、一部にちょっとだけ上に突き出たところがあり、そこが霊峰の未踏峰のブータン1高い山。
峠の展望エリアに、いつものごとく野良犬がいました。
ブータンの動物は、人間が何も攻撃しないので、全く人間を怖がることなく、寄ってきたりします。
寝てるのに近づいても逃げようともしません。
うーん、動物と共存していて、動物愛護団体な人には理想郷でしょうね〜(´∀`)
狂犬病さえなけりゃなぁ。
この峠にもちょっとした建物があり、この回りを時計回りに回るとご利益があるそうで……結構長い1周でした。
ティンプーにつき、まずは3代目王様のメモリアルチョルテンへ。
でかいっ!西岡さんのチョルテンの3倍はあるかな?
1代目や2代目の王様のチョルテンはブムタン地方にあって、もっと小さいそうです。
このチョルテンの周りを時計回りに3周すると、願い事が叶うそうです。回ってる人がいっぱいいました。
このチョルテンに向かって五体投地するための板が地面の上に置かれてました。
このチョルテンの庭には鳩がたくさんいました。
あと、3周する体力のない老人はマニ車をひたすら回してました。
チョルテン備え付けの大きなマニ車も回せない人達は、ハンディタイプのマニ車を回してました。見た目は、子供をあやすガラガラを振っているような図w
次はタシチョ・ゾンへ。
普通のゾンは県庁と寺院と裁判所を合わせた施設ですが、ここのは首都だけあって、王様のオフィスと寺院でした。
王様がゾン内にいるときは、ゾン内の見学はできないそうです。でもゾン内にいないのに、警備が厳しく、荷物チェック、金属チェックがありました。
ゾン内は他のゾンとたいして変わらない造りでした。ちょっと大きいだけで。
ゾンの前にピンクの花の木があって、てっきり桜だと思ったら、梅だそうです。
ゾンに行く途中に、外務省や国会が右手に見えるんですが、大きくて立派です。
で、その外務省とかの隣に、2階建てのこじんまりした建物があり、それが王様の宮殿でした。…ほんとに質素で小さいΣ( ̄□ ̄;)
宮殿は写真撮影不可で、見やすいところに近寄るのも禁止でした。
遠景。赤丸がゾン、黄丸が王様の宮殿、矢印が外務省等。
そして野菜市場へ。
露店が並んでるだけのプナカのとは比べものにならない大きさで、2階建ての広い建物にぎっしり野菜売り場、果物売り場、乾物(ガチガチに干した魚とか)売り場、米売り場なんかがありました。
ハエも牛もいませんでした。
やっぱり主にインドからの輸入品だそうですが、ブータン産のも少しはありました。
ヤクの乳のチーズがここでも売ってたので、ひとかけトライしてみました。
触っても硬いけども、口に入れても硬いっ!石みたい。
最初はナチュラルチーズ系の味が口内に広がったものの、すぐに何の味もしなくなり、石を食べてるような感じでした。
チェンチョさんもシャラップさんも、美味しくないから好きじゃないそうですwうん、確かに硬いだけで美味しくないw
30分経ってもろくに溶けてくれなかったので、諦めてポイしました( -_-)
この野菜市場でも、シャラップさんがおうちに買って帰る野菜漁りに消えてしまい、車のところでチェンチョさんと待ってたのですが、あまりに暇だったので、無意味にチェンチョさんでも撮ってみました(爆)
シャラップさんは11人きょうだいの末っ子で、高齢のお母さんと、あとはいとこと、計3人で暮らしているそうです、チェンチョさんによれば。
なんか、仕事とはいえ、何日もおうちから引き離してごめんねという気分にもちょっとなりました(^^;)
昼食は、バイキング。
ですが、私がプタ(ソバ粉のスパゲティ)とヒュンテ(ソバ粉の皮の餃子みたいの。具は乾燥したカブの葉やエゴマの実だそうです)を食べてみたいと言ったので、チェンチョさんがレストランに頼んで、バイキングメニューに加えてくれました(´∀`)
お味のほうはといえば、プタのほうは、昔長野で買ったソバパスタと似たような味でした。ただ、プタは麺を数cmごとに切ってあるので、マカロニのようなショートパスタを食べている気分でした。
ヒュンテも、無難な味で、ソバ粉皮の野菜餃子な感じでした。
あとは、いつもの赤米、カボチャ煮物、じゃがいものチーズ煮、エマ・ダツィ、ひき肉のトマトソース煮でした。
デザートにバナナが出ましたが、やっぱり日本のより小さいです。
次はドゥプトプ尼僧院。
尼さんは男のお坊さんに比べて圧倒的に少なく、この尼僧院には30人くらいしか尼さんがいないそうです。
ここの駐車場に停まってた車の窓際に、アクセサリーよろしくソーラーマニ車が回ってた時にゃあwww太陽光発電で勝手に回るミニ・マニ車だそうです。楽ちんだから最近流行してるそうです。……ブータン人よ(^^;)
ここに祭られているのは、ブータンとチベットにあわせて108の橋をかけたと言われる男性僧で、鎖の橋が有名らしいです。
ここの敷地では、マニ車の製作もしていて、絵に色をつけている作業を見れました。
それから、マニ車の中に入っている紙もみました。マニ車内には、大量のお経が詰め込まれています。
お経は非常に小さい字で、ぎっしり書かれていました。
チェンチョさんは生まれ変わりを信じていて、今のこの祭っている人の生まれ変わりもちゃんと認定されているそうです。
どうやってこの人の生まれ変わりと判断するのかと聞いたら、この人のと他人の持ち物を2歳児に見せたら、この人の持ち物だけを自分の持ち物だと正確に選びとれるんだそうです。
ちなみにチベットの高僧の生まれ変わりがブータンで発見されたこともあり、生まれ変わる場所はどこになるかわからないそうです。
次はターキン放牧場。
世界中でブータンにしかいない珍獣で、本来は標高3500mくらいのところに生息しているのですが、角を漢方薬にするためにチベットから中国人が入り込んで乱獲するので、保護区を作って放牧しています。
なんか、もっさりしていて可愛いなぁ…顔でかい、てか、鼻でかい。とか思っていたら、結構気の荒い動物らしいです。
ターキン用の餌が置かれてましたが、なんとかいう草だか葉っぱだかも食べるそうです。
ヤギのヒゲだの、○○の△△だの、牛、馬、羊……いろんな動物のミックスみたいな見た目の動物ですが、別に品種改良で合成したわけではなく、昔からターキンはこの姿なんだそうです。
次はチャンガンカ・ラカンという寺。特に子供の健康を守ってくれると考えられていて、ティンプー市民は毎月子供を連れてくるとか。
ここの観音様は世界で唯一座り姿で(観音様は立ち姿と決まっているそうです)、彫り師が間違えたとのことで、発注した貴族か何かが怒って、壊して作り直せ!と言ったら、この観音像自らがしゃべって「私はこのままでいいです。でもよそに行きます」と言ってブータンのこの地に自ら飛んできたそうです。うーん、お伽噺(´∀`)
他のティンプーの見所は、今日はお休みとのことで、明日回しになりました。
ホテル・ペリンに着くと、ロビーでちょっとお茶をしたあと、チェンチョさんやシャラップさんはティンプーの自宅に戻っていきました。
このホテル……4人部屋なんですがっ!
ずーっとツインの部屋ではありましたが、まさかダブルベッド2つの4人部屋に通される日が来るとは……。
このホテルからちょっと行ったところに、有名な「交通整理の交差点」というのがありまして……。ブータンには信号機が1つも無いです。
かつて設置されたことがあるそうですが、ブータン人の気質に合わなかったとかで、撤去されて、結局お巡りさんが車をさばくことになったとか。
ホテル前にあるスイス・ベーカリー(とっても美味しいらしい)と、そのへんの建物にも王様とお妃様の写真がっ!
時計塔広場にも行ってみました。
本屋にも行ってみて、ブータンの写真集の薄くて軽いのはないかと聞いてみたけれども、でかくて重いの(5000円くらいした!)しかなくて、結局お土産用の写真集は、お土産屋さんでゲットしました。
ブータンって、あんまり物価安くない……というか、日本より高いかもです、本は特に。
とまぁ、一人で街をちょっとぶらついてホテルに戻ったら…部屋の鍵が閉まらない。ま、ブータンは治安が相当良いので、ドア前に重めの椅子を置いて開けにくくしてそれでよしとしました。
このホテルは一度に使えるお湯量のタンクが見えるので、湯の残量を気にしながらお風呂に。寒いし。
湯がいくらでも出る日本て本当に良いなぁ。
そんでもって、ユニットバスなのにシャワーカーテンが存在しないとかorz
床が水浸しになりましたよ、ええ。
ホテルの夕飯はコーンスープ…コーンが固くて豆かと思った。あとはご飯、パスタ、肉の煮込み、野菜煮込み、野菜サラダ、魚フライ、マッシュルームのチーズ煮…と外国人向けでした。
ブータンに来て、初めて1人での食事でした。
今までは、義務としてチェンチョさんが一緒に食べてて、シャラップさんも気が向いたら一緒に食べていたので(シャラップさんは厨房で賄い食を食べてるほうが多かったみたいです)。
おかげで、英語が相変わらずさっぱりな私は、ここのレストランで微妙に苦労を(^^;)
いつもはチェンチョさんが私の希望をきいて通訳してくれてたもんで。
そしてここで飲み物を注文させられ(どこでも注文はさせられてた)、ウェイターがお釣りを持ってなかったので、翌日お釣りを払うと言ってましたが、結局翌日になっても返ってきませんでした(--;)
ブータン人、悪気はないけど、基本的にいい加減だからなぁ……。
朝はブータン人らしいエマ・ダツィとご飯と茹で卵。
朝から辛いわっ!
チェンチョさんに聞いても、シャラップさんに聞いても「3食エマ・ダツィとご飯だけが普通」と。飽きないそうです。私はもう飽きたwそりゃ、体は温まるのですけども。
ホームステイで同じ家に泊まってた関係で、チェンチョさんが、洋服の上(寒いから)にゴを肩に羽織っただけの姿で登場。「ゴを着るの、難しいね」と言いながら、ご飯食べてる私の前で着付けショー(?)が始まりました…いったい何なの、この状況www
で、私にも、キラを着るかと聞かれたので、お願いすることにしたら、着付けはシャラップさんがやってくれるそうで(^o^;え、あの、この家の27歳のお姉さんがまたやってくれるんじゃなく!?
私は寒いから黒い長袖下着も着てたので、タートルネックカットソーも脱いだほうがいいのか?スカートはどうすれば?と、どこまで脱げばいいのか首をかしげる私(尋ねるだけの英語力が無いw)に、シャラップさんが「寒い、からね」とだけ日本語喋りました!Σ( ̄□ ̄;)
押し留める手振りで、上着だけ脱いで、カットソーもスカートも着たままで良いとわかり、その上から着付けました(´∀`)うん、それで丁度いいくらい寒かったです。
ホストファミリーの夫婦が、私のキラ姿を「綺麗」だと誉めてくれたそうです、チェンチョさんの通訳によれば。
で、7時すぎには出発。プナカに行く途中の道路が工事中で、決まった時間帯しか通れないとのこと。
車中で、色々とブータン文化のお話を聞きました。
ブータンの山の木は基本的に自然林で、山火事等で焼失したところだけ、植林しているそうです。杉やら松やら色々と.
道端に片腕を差し出す学生が結構いて、何かと思ったら、通学のためのヒッチハイクだそうです。
基本は徒歩で片道7〜8km歩いて通っているそうですが、乗せてもらえるなら乗せてもらいたいんですね。
しばらく車で走ると、真っ黄色のスクールバスが。
あの学生達は、このスクールバスの停留所まで乗せて欲しがっていたそうです。確かにスクールバスに乗れるまでが相当遠い…。も少しあちこち回ってあげなよ、スクールバス(^^;)
ブータンはキノコの宝庫で、松茸や椎茸、シメジなんかよりもっとおいしいキノコがたくさんあるとか。
キノコは7月がシーズンで、松茸は8月がシーズンだそう。
ブータンの山には金(きん)が結構埋まってるそうですが、王様の方針で、将来国民が食うに困った時のために、敢えて採掘しないで残してあるそうです。
4代目国王(福島に来てたのは5代目。今4代目は引退中)は、3代目の急逝で、16歳で王位を継いだそうですが、引き継ぎが全くできなかったのにも関わらず、王制を立憲君主制に自ら変えたり、とにかく素晴らしい施政を次々敷いたので、ブータン人は皆、王様が大好きだそうです。5代目も4代目の方針を踏襲しているそうです。
いいなぁ…名君の専制政治って最高だよね。でも、民主主義に移行したのは良くなかったかもです。日本みたいな衆愚政治になりかねない…と思ったら、天皇陛下と違って、政治の最終決定権は王様にあるそうです。それなら安心(´∀`)
9時すぎにティンプーに到着。ブータンの首都。
ブータンにしては都会(人口10万人)なので、高い建物が多いけれども、地震対策で、6階以上の建物は建ててはいけないそうです。
車窓から、シムトカ・ゾンを見学。
過去の要塞だったんですが、ここのお伽噺として、魔物が石に逃げこんだので、その上に封印的に建てたんだそうです(^O^)
あと、建築中の「世界一大きい仏像」も車窓から見物…この距離で肉眼でわかるくらいなので確かに大きいが、金ぴかw
車中でチェンチョさんからブータンの結婚事情についてのお話がw
チェンチョさんは5代目の王様と同じ日に結婚したんだそうです。今36歳だそうだから、35歳の時かな?ブータンではかなり遅い部類の結婚だそうです。こんなにイケメン(たぶん。……私、三次元男性の顔の美醜が良くわからない(^^;))なのにΣ( ̄□ ̄;)
あ、ボディービルに夢中で結婚が遅れたとか?と思ったら、ブータンではとても離婚が多くて、子供が1〜2人いたら、離婚理由が妻にあっても旦那が養育費として給料の20%も払わないといけない…子供がもっといたら給料の40%とか払わないといけないというのが怖くて、結婚になかなか踏み切れなかったそうです。(最近は、離婚理由になったほうが払うように決まったとか)
【後日日本で、バイト先上司に「ブータンって意外に離婚多いんですって〜」と話したら、「幸せの国なのに!?あ、簡単に離婚できるから幸せなのかもしれないなぁ」と返されまして、上司よ、何があったんだw】
でもブータンの離婚理由は、お酒の飲みすぎが一番多いので、チェンチョさんはお酒はあまり飲まないから、大丈夫そうかな?とやっと結婚したとか。
ブータン人はお酒の飲みすぎで体を壊す人が多いそうです。
ティンプーからプナカ方面に向かうチェックポイントに到着。
チェックポイントの事務所に入域許可証を提出に向かうチェンチョさん。
手続き自体はあっという間でした。ガイドさんだけがカウンターに行けばよく、旅行客は車あたりで待機でOK。許可証もビザ取得の時に旅行会社が取得してくれてました。許可証は見た目はビザと同じでした。
外国人は、ブータン内の地域移動には全て事前の許可証が必要なので、移動のたびにこういうポイントでチェックされます。宿泊地域や旅行地域を当日の気分で変更しようとしてもダメ。ただし、同じ地域内での宿泊先ホテル変更なんかはOKです。
このポイントのあたりは、戦争からダライ・ラマとともに逃げてきたチベット人の居住区となっているそう。顔つきがブータン人とは少し違います。
その露店で、ヤク(という動物)の乳のチーズが売ってました。とてもかたくて、飴のように食べるんだとか。
あとは、リンゴもたくさん売ってました。チベット人が作っているそうです。
ドチュラ峠(標高3100m)に到着。晴れわたっていれば見えるはずのブータン1高い山は雲で見えず。残念。
ここにある公衆トイレは汚いしトイレットペーパーもないしドアは閉まらないし水も流れない…。
トイレットペーパーは、車中に常備してるらしく、私が持参のを取り出す前にシャラップさんが渡してくれたので、それを持ってトイレに行きました。
ここを出発したらすぐに工事のところに到着。9時半前に着いてしまいましたが、開通するのは10時なので、しばし休憩。車外で休憩するインド人をよく見かけました。
このあたりはしゃくなげや木蓮がいっぱい咲くそうです。
あと、やっぱり水車なマニ車もありました。
それにしても、パロとティンプーの間の道路は、国王の戴冠式があったから、外国からのお客を迎えるために整備されてて比較的広めで滑らかな道路でしたが、ティンプーをすぎてからというもの、ガタガタの道路ばかり。しかも1車線で、なんとか車がすれ違える程度。
山道でカーブの連続だし(酔い止め飲んでなかったら間違いなく酔ってた)、片側は崖で、ガードレールらしきものは所々にしかなく、対向車とすれ違うたびに怖かったです…。
ブータンの運転手という職業は、運転技術がラリー車並みに高くないとやってられないらしいです。それでも時々転落事故が起こるとか。
ウォンディ・フォダンに到着。11時半くらいでしたが…暑いっ!
ウォンディ・フォダンは標高が1300mくらいなので、亜熱帯気候です。ドチュラ峠じゃダウンコートに手袋でしたが、ここじゃコートなんて、手袋なんてっ!半袖の人もいたくらいです。
ブータンは基本的に乾燥してますが、ここは湿度がそれなりにあります。
大きな川(プナツァン)がど真ん中を悠々と流れてますし。
サボテンも生えてたり。
先日のお風呂に浮いてたらしい草も生えてて、日本でも生えてるそうです。
ブータン名物(?)棚田。
リンチェンガン村。昔、ゾンの建設のために移住してきたインド人達の村だとかで、非常に古いそうです。
まずはウォンディ・フォダン・ゾンへ。
ここは壁以外は改装中でした。
なので、制作中の浮き彫りや窓枠の作業を見られて、これはこれで得した気分(^O^)
ちなみにブータンの建物は、最近はセメントなんかも増えてきてますが、基本は土と木で壁を作るので、朽ちても自然に還るだけでゴミにならないそうです。
そんな素敵観念があるわりには、河原や空き地にゴミのポイ捨てが結構目立ってましたが( -_-)
ブータンの大工は、大半が出稼ぎインド人で、ブータン伝統建築の時くらいしかブータン人大工は出てこないそうです。
昼食は、赤米と、クレープと、カリフラワー、マッシュルーム、鶏肉…と、外国人向けの辛くないものばかりでした。
チェンチョさんとシャラップさんは、見るからに真っ赤な料理を食べてまして、ちょっとだけ味見させてもらったら…やっぱりむちゃくちゃ辛いっ!
チェンチョさんに色々ブータンの話を聞いてたんですが、日本語なのでシャラップさんがすっごく退屈そうにしてました。
逆にチェンチョさんとシャラップさんが話してるときにはゾンカ語なので、私が退屈ですがw
チェンチョさんもシャラップさんも英語はできるから、私さえ英語ができたら、3人一緒にお喋りできたんですけどね〜(´Д`)
ブータンの医療事情。
健康診断の習慣がなく、皆症状が出てから病院に行くので、手遅れのことが多い。
尿管結石で死人が出るとか、日本じゃ考えられないです…。
重病だとブータンではお手上げなので、そういう患者は皆インドに運ばれるけど、ブータン内では医療は無料ですが、インドに搬送されるお金がない人も多い。
つい最近までは、皆、病気になったらお坊さんにお祈りしてもらっていた。それでも治らなかったら(それで治ることがあるの!?(^o^;それで治るなんて、精神的な病気くらいじゃ…)、薬草中心の伝統医療を受けていたけども、西洋医学に比べて効きが遅いので、今は皆西洋医学の病院に行くようになったそうです。
ブータンでは医者は高収入を見込めるけども、とても忙しいそうです。
ブータンで医者になろうと思うと、ブータンの大学に行ったあとにインドに最低5年間は留学して、試験に合格しないといけないそうです。
王様の話。今の5代目の王様は、今までの王様と違って、小学校からずっと、庶民と同じ学校に通っていたそうです。大学だけはイギリスに留学したけれども。
そして、庶民の声を直接聞くために、宮殿に呼んだり、自ら地方に出向いたりして、困り事がないか直接情報収集しているそうです。
チェンチョさんも、ツアーガイドとしてと、ボディービル選手としての2回王様に呼ばれたことがあって、ツアーガイドとしての困り事としては、外国人向けの料理を作れる料理人が少ないことだったので、それを言ったら、料理人を海外留学させて、料理人のレベルが上がって、ツアー客の満足度も上がったそうです。
ボディービルのほうは激励されたそうです。
でも、王様の質問に答えるだけで、庶民からは質問してはいけないので、宮殿内が暑いこともあり、王様の話し方がゆっくりなせいもあり、自分が質問されてないときは、つい居眠りしてしまったりするそうですw
過去には携帯をいじっていた人もいたらしく、さすがにそれ以降は携帯の宮殿内持ち込みは禁止になったそうです。
写真は王様専属カメラマンがいて、王様に会えた時の写真は、そのカメラマンが撮って後日送ってくれるので、カメラの持ち込みも禁止だそうです。
チェンチョさんは、私の前は、おばちゃんグループのガイドをしたそうですが、事もあろうにそのグループは「王様に会わせて欲しい」「王様に会いたい」と無理を言っていたそうです。身の程をわきまえろ!
王様に手紙を書いてきたとかで、仕方ないので手紙だけは政府の人に一応渡したけれども、王様が読んだかどうかはわからない、と。
なんという恥ずかしい日本人か!と情けなくなりました。王様なんて、名君であればあるほど超多忙なのに、しょうもないことで王様に時間をさかせようとするなんて(怒)
そういえば、私がブータンに行くと同僚に言ったら、皆口を揃えて「王様に会いに行くの?」と言われました。そんな簡単に会えるわけがないし、自分が会えるほどの立派な人物なのかを考えろ!とその時も思いましたが…日教組教育の弊害ですかね。
王様は、地方では敢えて貧しい人の家に泊まり、中から見ないとわからない問題を知ろうとしたり、農業なんかもとりあえず体験してみて、どれくらいしんどいものなのかを理解しようとしてはるそうです。
でも売名目的じゃないので、ニュースにも載らないから、あまり知られていないとか。
ヤクを飼って生活しているのは、標高4000m以上くらいのところに住む人達ですが、電気も水道もない貧しい暮らしなので、王様が自ら出かけていって(このあたりは道もないので徒歩でキャンプしながら片道1週間とかかかるそうです)、もう少し低地に住んで農業をしてはどうか、と、土地を与えたりしたそうです。
ただ、その人達は、厳しい生活でも、昔から慣れた生活のほうがいいと言って、相変わらずヤクの放牧で生活しているそうです。
さらに王様は、国のお金は将来のためになるべく使わないように心がけていらっしゃるとかで、宮殿も、庶民の家よりちょっと大きい程度だそうです。
車も、外国にプレゼントされたものに乗っているだけで、ボロくなったからそろそろ新しいのを…と側近が言っても、「このままでいい」と、国のお金には極力手をつけないようにしているそうです。
学校の視察や、村の子供なんかともなるべく直接話すようにしてらっしゃるとか。
庶民を宮殿に呼ぶために1週間に1回3時間程度、時間を取っているそうです。
それやこれやでとても多忙。
王様は常に国民のことばかり考えていて、自分のことを考えてらっしゃらないそうです。
だから国民は王様を大好きで、尊敬しているそうです。(でも居眠りはするんだw)
チェンチョさんは、王様に「もし自分が王様に生まれなかったら、ツアーガイドになりたかった。いろんな人に会えるし」と羨ましがられたそうです。
いいなぁ、こんな王様が日本にもいたらなぁ…と一瞬思ってしまったのですが、うちの天皇陛下もこの王様と同じくらい質素な生活しながら、常に国民のことを考えてられて、激務をこなしてらっしゃるじゃないか!Σ( ̄□ ̄;)
真っ赤な教育と、報道しない自由のせいで、うっかり失念してましたorz
この王様の話を聞いていると、日本も天皇陛下が統治してくだされば良いのに、と主張する人の気持ちも少しはわかりました。
(私個人としては、ただでさえ激務の天皇陛下にこれ以上仕事を増やす気か!?と、あまり賛成できないと思ってましたが)
さて、長話のあとは、プナカ・ゾンを見学するためにプナカに移動。
途中で、野菜市場も見ましたが、売っている野菜はインドから輸入したものばかりだそうです。
ドマ(噛みタバコ)の実も見ましたが、黄色い実よりも、飛びかうハエのほうが強烈でした…。
ここで野菜を買うと、重量は昔ながらの天秤で測定してました。
市場内にも犬や牛がうろうろしていて、ほんとにブータンはどこにでも普通に犬や牛がそのへんにいるなぁと思ってたら、市場の売れ残りをもらうために、どうやら牛達も市場のある曜日を覚えて、勝手に通ってきてるらしいですw
途中、ダーツをやっている風景も見ましたが…私の知ってるダーツとスケールが違いました。
よくバーとかにあるお洒落なダーツではなくて、矢自体も一回りか二回りくらい大きく、的は小さくて遠い。アーチェリー並みの距離がありました。
的に命中したら、歌って踊るんだそうです(^O^)
かなり遠いのに小さすぎる的www
プナツァンは、流れの緩やかな女川と、流れの激しい男川とが合流して1本の川になっているのですが、その合流地点にあるのがプナカ・ゾンでした。
明るい青の男川、やや黒い女川が合わさって、落ち着いた青になってまして、それらの川の色と、白砂のコントラストがかなり綺麗でした。
プナツァンの川辺には砂がたくさん堆積するので、それをトラックでティンプーまで運んで、建築材料に使ったりしているそうです。
今はティンプーとプナカは2時間半くらいかかりますが、今、山にトンネルを掘っていて、それが完成したら、30分で行けるようになるそうです。
プナカ・ゾンは洪水で数年前に流されて再建されました。
上流の湖が年々巨大化してきていて、氷河が溶ける時期になると危ないそうです。
エンジ色の屋根と、白い壁が綺麗です。
橋を渡って目の前にすると、かなり大きいです。
野良犬がまた堂々と寝そべってるしw
このゾンは、どんなゾンにしようかとアイデアに困っていた大工さんが、夢の中で、これこれこういうゾンにしなさいと、あご髭の老人にお告げを受けて、起きても細部までどんな建築だったか覚えていたので、その通りに作ったそうです。
ゾン内の寺院には、あご髭の神様も祭られていました。(ゾンは基本的に県庁で裁判所で寺院も併設されてたりするようです)
ゾンから出てきたら、煌びやかなゴやキラを着た人たちがずらっと並んでいて、何かと思ったらシンガポールのテレビドラマの撮影でした。
ブータンの王様役やお妃様役の役者さん達も準備中w
16時くらいにはウォンディ・フォダンのホテルに着きました(ウォンディ・フォダンとプナカは車で30分くらい)。
プナツァンチュ・コテージというホテルですが、暖かい地方なので、ベランダでお茶もできるようになってました(ただしオートロックなので、ベランダに出る時は扉に何かはさんでおかないとベランダに取り残されるという恐ろしい仕様(^^;))。
海沿いならぬ、川沿いのリゾートホテルでした。
しかし、蚊がいるとのことで、蚊取り器具かな?と思った白い平たい円筒状の物体が、タコ足配線用延長コードだったなんて…日本人としては見てもわかりませんでした(;^_^A(添付写真)
夕飯は、スープと、赤米、野菜の煮物、豆とチーズの煮物(なのにやっぱり唐辛子入り)、肉の煮物、じゃがいもの煮物、デミグラスソース系のマカロニ。
え、マカロニ?まさかブータンでパスタに出会うとは!外国人向けですね(´∀`)
チェンチョさんが、「お客さんが少なくて嬉しい」というから何かと思ったら、今はシーズンじゃないのでお客が少ないから、部屋が余ってるからホテルの部屋に泊まれる、と。繁忙期だと、部屋が満室なので、お客は部屋に泊めて、ガイドさん達は寝袋で車中泊になったりするそうです。
そしてチェンチョさんが風邪をひきました。頼むから、こっちむいて咳をしないでほしい…というか、マスクしてくださいーっ(T_T)
自衛のために、手持ちの龍角散の喉飴を差し上げました。
咳、止まってくれたらいいなぁ…私、すぐに風邪もらうからorz
そしてこのホテルも、シャワーのお湯が十数分で出なくなりました(;_;)何時間でも熱いお湯が出る日本って本当に素晴らしい国だなぁ。
水道水も飲めるし!うがいの最後にミネラルウォーターで口の中を洗わなくていい日本バンザイ\(^O^)/
貰ったキラ一式が入ってたビニール袋も、ちょっと触っただけで、ざらついてて貧弱そうで、質が悪いのがすぐわかりましたし。
日本は、スーパーのビニール袋やゴミ袋に至るまで、ほんとに質がいいです……と、外国のを使うとよくわかります。
性 別 | 女性 |
誕生日 | 3月31日 |
地 域 | 兵庫県 |
職 業 | 夢追人 |
血液型 | A型 |
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