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【一般、夢】桜の花の舞う頃に〔5〕

 

<5>

 

 数十年が過ぎた。あれからは毎年毎年、途切れることなく染は花びらを持ってきた。もう今では籠ひとつになどとても収まりきらない量だとかいうことで、染は抱えきれる量だけを運んでくるようになっていた。

 今年も染は咲華の家にやってきた。呼び鈴を押すと、どことなく咲華に似た30歳くらいの女性が、幼稚園児くらいの子供の手をひいて現れた。

「あ、お久しぶりです」

 女性は染を見て、ほっとしたように微笑んだ。

「どうぞ、中へ。・・・そろそろかな、とお待ちしてたんです。間に合って良かった・・・」

「間に合う?」

「もう、祖父も歳ですから、最近は寝たきりで、時々しか目を覚まさなくて、いつお迎えが来てもおかしくない容態なので、私も嫁ぎ先から里帰りしているんです」

「そうか・・・良かった、間に合って。ね?」

 染は後ろを振り向いて同意を求めた。

女性は、他に誰かいるのかと、首を伸ばして染の背後を覗きこんだ。そこに、なんとなく見覚えがあるような気もする、中学生くらいの少女が姿を現した。しかし、どうにも現実感のない、存在感のない少女だった。

「あの、こちらは?」

 祖父の寝室に案内しながら女性は問うたが、染はにこりと笑顔を返すだけだった。女性の子供は不思議そうに少女をじろじろと観察している。

 女性はドアを開けて染達を寝室に招き入れた。

「お父さん、今年も来てくださったわよ」

 女性は、ベッド脇で看病をしている初老の男性に声をかけた。男性は安堵したように戸口のほうを向き、・・・驚愕した。

「姉ちゃん!?」

 染の後ろに立っているのは、初老の男性――咲華の弟――が、何度も親に見せられた写真そのままの姉だった。全く年を取っていない、中学生のままの姿。

「なんで・・・全然変わってない」

 弟は自分の皺の目立つ手に目を落とした。そんな弟に染が答えた。

「私たちは好きな姿を取れるけれど、咲華さんは、自分が年を取るとどんな姿になるか知らないから。若返った姿になる事はできても、あの時より年を取った姿は・・・想像もできないからね」

 染は淡々と説明したが、どこか苦しげな雰囲気を漂わせていた。

「でも、僕が生きてるうちに精霊が宿ることなんてできなかったはずじゃ・・・」

「そう。あの、貴方たちが山に来た時と同じくらい、あり得ないこと。それだけ咲華さんは家族に会いたかったんだろうね」

 染は咲華の背を押した。

「まだ、木から離れて姿を形作るだけで精一杯だから、話はできないし、意思の疎通もあまりできないんだけど」

 よく見ると咲華の姿は少し透き通っている。しかし、心持ち嬉しそうな表情を作っている。

 咲華の年老いた父親がふと目を覚ました。ぼんやりと宙を眺める。そして何気なく視線を息子の方に動かして・・・凍りついた。数秒間、瞬きもせずに咲華の姿を見つめる。やおら、両目から流涙した。鼻をすすり、小さく咳き込む。そしてそのまま起き上がろうとして、しかし力が入らずあえなくベッドに引き戻された。仕方がないので腕を咲華に向けて伸ばした。

 咲華はゆらりと父親に近づき、笑顔を浮かべて父親の手を取った。そして父親の手に頬を寄せる。その間ずっと父親から目を離さない。

「咲華・・・、元気か?」

 父親がか細い声で問うた。咲華はゆっくりと頷く。

「今、幸せか?」

 その問いには、咲華はしばし逡巡していたようだった。しかし、父親の目を再びじっと見つめると、はっきりと頷いた。そしてふわりと微笑んだ。

「そうか・・・」

 父親は一度目を伏せて、また咲華を見た。静かな時間が流れる。

 

 染は、そっとその部屋から出た。そのまま玄関から外に出て、家の塀にもたれた。道の向かい側に、明るい新緑を宿した力強い木々が並んでいる。空は抜けるように青い。太陽が・・・とても眩しかった。夏が来る。





<以上>
(他の二次創作系話はこちら

【一般、夢】桜の花の舞う頃に〔4-3〕

 

 桜の蕾が膨らむ頃、染は松の木にやんわりと起こされた。

「ん・・・松の。何か?」

「お客だよ、桜の」

「客?」

 染は物憂げに周りを見渡した。

「どこに?」

 染が漏らすと同時に、周囲の木々が一斉にざわめいた。ニンゲンダ、ニンゲンダ・・・。

 木々の間から、杉の靄がたゆたってやってくる。そしてその後ろに、3人の人間が続いていた。土気色の肌を上気させて、命の最後の輝きを放つように目を期待に見開く中年の女性と、息を切らしながらも嬉しそうにその女性を背負う中年男性と、薬やその他の必要な荷物を両手に抱えて落ち着かない様子の若い男性・・・染の見知った顔だった。

「咲華さんの、家族!」

 染は驚きの余り、完治もしていないのに大声を出した。

 その声の聞こえた木の方に、咲華の両親と弟は、素早く顔を向けた。そして、口々に息せき切って話しかけた。

「桜の精さん?桜木染さん!?」

「やっと・・・」

「この木・・・?」

 染は3人を見遣って、自分の右に意識を向けた。まだ、わかるわけはない。まだ、意識など生じているはずがない。でも、もしかしたら少しでも伝わってはいないだろうか?

「あの、精さん。どうして、どうして去年は来てくれなかったんですか?待っていたのに・・・」

 母親は精一杯声を張り上げた。しかし、父親と弟は、立派な枝振りの桜の幹の大きなえぐれに気づいた。そして弟は、なおも言葉を募らせる母親の肩を指先で叩いて注意を向けさせた。

「何!?」

 邪魔してくれるなと弟の方を母親は向いた。弟はえぐれを指差し、ぽつりと言った。

「重傷の怪我っぽく見えるけど」

 母親は言われて初めてそれに気づいたようだった。母親は目を見張り、押し黙った。

「というわけなので。咲華さんのお母さん、行けなくて申し訳ない」

 染の静かな声に、母親は何も言えなかった。

 染の姿は見えなかったが、染が後ろを振り向いたような気配がした。

「楓の・・・お願いできる?」

 染の小さな声に反応して、少し離れた楓の大樹から、靄のような塊が出てきた。そしてその靄は、乾いて茶色く縮んだ花びらの入った籠を、三人の前にそっと置いてまた大樹に帰っていった。

「遅くなってしまったけど、去年の分。・・・もうすぐ今年の花も咲くけれど」

 母親はその籠の中身を確認し、長い息を吐いた。そして、その吐息に乗せて小さく「ごめんなさい」と呟いた。

「それより、咲華さんを見てあげて」

 染の言葉に、三人は勢いよく顔を上げた。そしてきょろきょろと視線を彷徨わせる。

「どこにいるんですか、咲華は!?」

 代表して父親が声を発する。染は右隣の木に視線を誘導した。

「この、あなたよりはだいぶ細くて背もそんなに高くない、これなの?」

 母親が声を期待に震わせて問うた。染は肯定した。

 途端、母親は父親の背から降り、よろよろと咲華の木に歩み寄ろうとして大きくふらついた。両脇から父親と弟が慌てて支える。そしてその木まで三人で近寄った。

 母親は手を伸ばして幹に触れ、そして頬を当てた。次第に腕を広げて、幹を強く抱きしめた。嗚咽が漏れ聞こえてきた。

 父親も幹に手を触れ、咲華の蕾を愛おしそうに見上げた。弟は戸惑ったように二人を見ていたが、少しして自分もそっと幹を撫でた。

 静かな、静かな時間が流れた。

 半刻ほども経っただろうか。杉の靄が三人のもとまで近づいてきた。

「もういいだろう。名残惜しいのはわかるが、短い時間の約束だ」

 それを聞いて母親は、幹を抱きしめたまま首を強く振った。

「もう少し・・・もう少しだけ!私はもうすぐ死ぬのだから、もう二度とこの世ではさっちゃんに会えないのだから、お願い!!」」

 その返答に靄は少しむっとしたような空気を纏った。それを見て、父親が慌てて母親を引きはがしにかかった。

「約束だから・・・これは本当に特別に許してもらったのだから、つらいのは俺も同じだけど、帰ろう、な?」

 父親が必死で母親を宥めていると、突然周囲に驚愕の空気が満ちた。何事かと夫婦が周りを見ると、先ほどまで確かに蕾だった咲華の桜が開花していた。目の前で、ひとつ、またひとつと次々に開いていく。幻想的で、心を奪われる光景に、三人も杉の靄もその他の木々も呆然とその様を見つめるしかできなかった。

 そして満開になると、なんと幹から二本の人間の腕が出現した。少し縁はぼやけていたが、母親はその腕を見て驚喜した。

「この腕・・・さっちゃんよ!!」

 腕は母親を強く抱いた。

「ここのとこの小さな古い火傷の跡、間違いないわ!そうでしょ、あなた?」

 腕は次に父親を、そして弟を抱いた。

「ああ、この感触、間違いないよ」

 父親も目を潤ませる。弟は最初は思わず体をこわばらせたものの、優しい感触に緊張はすぐ解けた。

「これが・・・姉ちゃん」

 弟の言葉に、腕は片手を弟の背中から離して、頭をぽん・・・ぽん・・・と叩いた。

 起こるはずのない光景に周りが見入っていると、腕はすうっと靄となり、宙にかき消えていった。しばらくの間、誰も動けなかった。

 満開のままの桜を見上げ、母親は清々しい顔で微笑んだ。

「さっちゃん、ありがとう。先に逝ってあの世で待ってるからね。いつまでも見守ってるから、さっちゃんは急がないで後からゆっくり来るのよ」

 そして母親は父親と弟を促した。それを見て杉の靄はハッと我に返り、帰り道の案内に立った。

「精さん、桜木染さん。さっちゃんを守ってくれてありがとう」

 母親は父親の背の上から深々と礼をした。

染には何も言えなかった。守れなかったから、今こうなっているのに・・・、と。

「さようなら」

 染の目にも、母親の命がもういくらももたない事はわかった。「お元気で」などとは言えない。

「良い旅を」

 染がやっと絞り出した言葉に、母親は笑んで頷いた。父親と弟も一礼し、杉に導かれて人の世に帰っていった。

 

半月後。染は散った花びらをなんとか集めて、咲華の家に持っていった。そして喪服の列にしばらく並び、棺の中の母親と対面した。先日見た時よりもさらに痩せて頬はこけていたが、土気色の顔色は化粧で明るく整えられており、血色の失せた唇には紅が差されていた。さらに表情はとても穏やかで、かすかに微笑んでいるようにも見えた。

染は、そばに俯きがちに正座している父親と弟に一礼して、籠の中の花びらを母親の上に、周りに撒いた。花びらを纏った母親の頬は、目の錯覚か、少し赤みが差して見えた。

「さようなら」

 口の中でそれだけ呟いて、染は静かに立ち上がり、人ごみの向こうに消えていった。

 

 

 

<5>に続く

【一般、夢】桜の花の舞う頃に〔4-2〕

 

「どうだ、桜の。少しはましになったか?」

 杉の木からたゆたってきた靄が、樹齢500年ほどの桜の木に話しかける。

「だいぶ回復はしてきたけれど、まだ表を出歩くのは無理そう」

 やや苦しげな声が桜から放たれる。

 その桜の幹には、深いえぐれがあった。今春大量発生した害虫にやられたのだ。周辺の木々にも多かれ少なかれ傷が認められた。

 しかし、その大きな桜の右隣に位置する比較的若めの桜木には、傷はなかった。杉の靄はその桜木にちらりと意識を向けて、また大きな桜に向き直った。

「お前さんが身を挺してかばった『咲華さん』は相変わらず元気そうだな」

 若めの桜木は何も反応しない・・・いや、できない。

「『咲華さん』が表に出られるようになるまで、まだまだかかるのに、応えのない相手に熱心だねえ、本当に」

「これは、私の罪滅ぼしでもあるから。絶対に咲華さんは守り通さなくちゃならない」

 力のない声で染は返事をする。

「こんな私に同意してくれたから、あの時咲華さんの魂の同化に協力してくれたんじゃないの?何をいまさら」

 それを聞いて杉の靄は軽やかに震えた。

「どの程度憎まれ口を叩く元気が出てきたか、試したんだよ」

 くつくつ、と笑い声がする。大きな桜にはむっとしたような空気が漂った。

「そんなことしてる暇があるなら、この花びら・・・もう変色してしなびちゃったけど、咲華さんちに届けてきてよ」

 それを聞くと靄はすっと桜から遠ざかった。

「どうしてこの私がそこまでしなくちゃならないんだ。お前の道楽なのに」

 そうして、染が反論の声を上げるより先に、染の目の届かない奥に行ってしまった。

「・・・もう。咲華さんの家族、心配してるだろうなあ。返す返すもたいした力のないこの身が口惜しいよ」

 染はそうつぶやくと、ちらりと咲華の木を見遣って、回復に専念するために眠りについた。

 

 桜が蕾をつける頃、染達の山に来訪者があった。こんな山奥までたどりついた人間の身なりは、決して綺麗なものではなかった。服もバックパックもあちこちに破れとかがった跡があり、人間もくたびれ果てた様子だったが、しきりに声だけは出していた。

「桜木さん、染さん、咲華!どこにいるんだ?いたら返事を・・・!」

 いろんな木に狂ったように声をかけて回っていた。

「咲華、お母さんが病気なんだ!どうか生きてるうちに会ってあげてくれ!」

ただひたすらに声を張り上げる男性。

「違うのか?またここにもいないのか?もう、他に残ってるこんな山奥はいくらもないのに・・・」

 やおら声のトーンを落として呟く。

「もしかして、俺に会いたくないのか?今までに行った山に実はいたのに返事をしてくれなかっただけとか・・・」

 男性はしばし軽くうつむいて、そして首を力いっぱい振った。

「いや、そんなはずはない」

 そしてまた娘と桜の精霊の名前を、嗄れかけて少し掠れた大声で呼ばわった。

 日が暮れ、積もる疲労で半分意識が朦朧としかけた頃、男性の前に淡い靄の塊が寄ってきた。

「なんだ、霧か?ただでさえ冷え込んできたのに、視界まで悪化するとはついてない」

 そう漏らした男性に向き合って、靄は声を発した。

「何用だ?」

 男性は驚いて周りを見渡した。誰もいない。

「空耳か?まずいな、だいぶ疲れてるみたいだ」

 男性は休める場所を探してきょろきょろとする。すると再び、呆れたような声が男性に向けられた。

「何の用かと聞いているのだが?この人間は、礼儀がなっていないな。それとも、知能の問題か?」

 失礼極まりない言葉に、男性はむっとして返答する。

「誰だ!そっちこそ姿も現さないで、人の礼儀や知性をどうこう言うな!」

 すると目の前の靄が嘆息したように揺れた。

「お前の目の前にいるだろう。見ようとしていないのはお前の方だ」

「え!?」

 男性は慌てて目を凝らす。靄とその向こうのぼやけた山の風景しか見えない。

「すまないが、俺以外の人の姿は見えないのだが・・・」

 ひょっとして疲れ目か、と男性は目をごしごしこする。靄は苛立ったように強く揺れた。

「誰が人間か!これだから人間は好かぬのだ。桜のがあまりに悲痛な声を上げるから手助けはしたものの・・・」

 『桜』の言葉に男性はぴくりと反応し、大急ぎで声の聞こえるほう・・・靄に向かって必死で土下座した。

「ひょっとして貴方は、桜木染さんか、咲華のお知り合いですか!?もし、もしそうなら、会わせてください!何でもします!何でもしますから!!」

「それがお前の用か?」

 静かな声が靄から聞こえる。ここにきてようやく男性は、声の主を彼なりに理解した。桜の精がいるのだ。これは山の神か何かだろう、と。

 男性は事情を、立て板に水のごとくまくし立てて懇願した。話しながら、何度も何度も男性は地面に頭を擦り付けた。

 男性の話が終わると、靄は考えるように少しざわめいた。

「用件は了承した。しかし、その希望が叶うかどうかは・・・いや、桜のなら・・・」

 靄はしばらく聞き取れないほどの声でぼそぼそ呟いていた。考えを巡らしている。

 男性は、神か何かの判定をじっと黙って待った。・・・そして判決が下った。

「いいだろう。ただし、今ではない。お前の妻子を連れて来い。その時、一度きり。しかも短時間だけだ。それで良いというなら、お前の探している木に会わせてやろう。しかし、妻子とお前だけだ。それ以外の人間を連れてくるようなら、お前たちの望みは叶わないと知れ」

 厳かに述べられた言葉に、男性は涙を流して、何度も首を縦に振った。何度も謝辞を言の葉に上らせた。そして足の動く限り速く下山していった。



<4-3>に続く

【一般、夢】桜の花の舞う頃に〔4-1〕

 

<4>

 

 咲華が姿を消して、何年経っただろうか。今年は桜の花が散り、青葉が生気をみなぎらせる季節になっても染は現れなかった。

「どうしたのかしら。どうしましょう。ねえ、あなた」

 母親は不安げに、居間で新聞を読む父親に漏らした。

「もう、桜の季節は終わってるのよ。さっちゃんのいるお山では、まだ寒いのかしら?でも・・・」

「言うな。きっと、そうだ。今年は山奥では桜は遅いんだ。そうに決まっている」

「でも、連絡くらいくれたっていいのに・・・」

 母親は目を宙にさまよわせた後、はっとした。

「まさか、まさかさっちゃんの木に何か・・・」

「考えるな!そんなわけないだろう!あの、桜の精とかいう人が、そんなことさせるわけがない!今年は山では遅れてるんだ。この話はこれで終わりだ」

 父親はいらいらと新聞を放り出し、居間を出て行った。

 

 銀杏が黄色い葉を散らす頃になっても、染は現れなかった。

 遠山家では毎日空気が張り詰めており、高校生になった弟は、逃げるように毎日外出していた。父親は『仕事』で毎日帰宅が遅くなり、食卓や居間に全員が揃うことがなくなっていた。

 ある日、母親は体の不調を訴えて病院へ行った。硬い表情で帰宅すると、戸棚や箪笥の中を漁って荷物を整えた。

 さすがに気になった弟は母親に声をかけた。

「どこ行くんだ?」

「病院」

 母親は興味なさそうに淡々と答えた。弟は戸惑いながらも問いを重ねた。

「さっき帰ってきたばっかりなのに?」

「入院、だって」

「どこか悪かったのか!?」

 きっと気分が落ち込んでるせいだとばかり思っていた弟は、驚いて母親に駆け寄った。

「癌、だって。治療しても余命は半年くらいだろうって」

 母親は事も無げに言った。

「!」

 弟は声にならない声を上げた。そのまま出て行こうとする母親を引きとめ、震える手で父親に連絡した。父親は、文字通り、駆けつけてきた。

「すまん!!」

 父親は母親の肩をつかみ、久しぶりに母親の目をまっすぐに見て、ただ謝った。

「あなた、何を謝っているの?」

 不思議そうに母親は尋ねた。

「こん・・・なに、なるまで、気づいてやれなくて。咲華のことばかりで、お前を大事にしてやれなくて、すまなかった!」

 母親は静かに首を振った。

「そんなの、さっちゃんばかり気にしていたのは、私も同じだわ」

「しかし」

「今も気にしているわ。このまま私が死んだら、さっちゃんに会えるかしらって」

「馬鹿!会えるわけないだろう!咲華はまだ生きてるんだぞ!人間の体こそ亡くしたけれど、まだ魂は生きてるんだ。あの世に行ったっているわけがないだろう!」

 激しい剣幕の父親に、母親は一瞬虚をつかれたように動きを止めたが、しばらくして、はらはらと涙をこぼした。そして自分に言い聞かせるかのように呟いた。

「そうね、そうね。さっちゃんはまだこの世にいるんですものね」

 弟が母親の涙をハンカチでぬぐってやる。母親は力が抜けたように座り込んで、泣きじゃくり始めた。

「会いたい、会いたいわ。死ぬ前に一度だけでいいから、さっちゃんに会いたい・・・」

 それは父親も同じだった。弟も、ほとんど記憶にない姉に会ってみたかった。

 しばらく母親の肩を抱き、背中をさすっていた父親は、何かを決意したように天井を睨んだ。

 母親を病院に送り届けた後、弟は父親に居間に呼び出され、父親の決意を聞かされた。

「俺は、咲華を探してみようと思う」

 弟はすぐさま、無理だ!と声を上げた。

「だって相手は人外で、ただ山奥としか聞いてないじゃないか!」

「それでも、だ。外国じゃない。日本国内なんだ。虱潰しに探せばきっと・・・」

「そんな、途方もない」

「そんなこともないさ。なんだかんだ言って、日本の山で手付かずのところなんて、そうたくさんはない。俺はやる。母さんを咲華に会わせてやりたいし、俺も会いたい。

花びらだけで我慢しようとこらえてきたが、今年はその花びらすら来ないじゃないか。もう限界だ」

 弟はあっけに取られた。父親はこんなに力強く言葉を語る人だったろうか。

「というわけで、まずは情報収集だ。母さんの世話もしながらだから大変だけど、手伝ってくれるな?」

 そこまで決意を固めている家族に協力しないほど、弟は薄情な人間ではなかった。



<4-2>に続く

【一般、夢】桜の花の舞う頃に〔3-2〕

「こんにちは」

 春も終わりに近づく頃、染は次の年も咲華の家の玄関に立った。

「あなたは・・・!」

 母親は今度は咲華を追い出さなかった。しかし複雑な顔をして、染の様子を窺っている。染はそんな母親には気づかない素振りで、両手に包みきれないくらいの花びらを差し出した。

「今年の咲華さんの木が付けた花だよ」

母親はしばらく押し黙り、染の手の上の花びらを眺めた後、ぽつりともらした。

「去年より、少し多いのかしら?」

 染は柔らかに笑った。

「ふふっ。咲華さんの木は、枝が少し増えて、背も伸びた」

「そう・・・」

 母親はふっと遠くに視線をやると、口の端をわずかに吊り上げた。

「そう・・・」

 熱い透明な液体が一筋、母親の頬を伝った。染は、そんな母親の掌を上に向けさせ、花びらを盛った。

「ではまた来年に」

 染は軽く会釈すると、花びらを手にしたまま立ち尽くす母親の前から姿を消した。

 

帰宅した父親に母親は黙って花びらを入れた白い皿を差し出した。咲華の気に入っていた皿だった。父親は一瞬首を傾げたが、直後にハッと目を見開いた。

「それはもしかして!」

「去年と同じ桜の精さんが、届けに来てくれたわ」

「・・・そうか」

 父親の声は少し震えていた。いや、体も震えていた。母親は父親を強く抱きしめた。

去年より少し大きくなった弟が、声を殺して泣く両親に笑顔で纏わりついて楽しそうに声を上げた。

「キレイ、キレイ、おはな、キレイ」

 

染は1年1年をできる限りの気配りをし、若木はそれに応えて着実に成長していった。

次の年は両手いっぱいにこんもりと乗った花びらを届けた。母親は待っていたように足早に玄関に現れた。

その次の年は両手からあふれてしまうほどの量だったので、染は蔓草で編んだ小さな籠に入れて持っていった。その年は客間に通され、父親や弟とも引き合わされた。そして4人で咲華の思い出を語り、今の若木の生育状況を知らせた。

年々籠は大きくなっていった。父親も母親も年を重ね、弟も順調に背が伸びた。しかし染の姿は変わらなかった。

ある年、母親は言った。

「あなたの姿が変わらないのを見て、やっとあなたが人ではないのだと実感できたわ。今まで、本当は少し疑っていたの。ごめんなさいね。

でも今は、直接は会えないし姿も変わってしまっているのだろうけれど、本当にさっちゃんがまだ生きているんだと信じることができるわ」

母親は少しだけ幸せそうに笑った。

染はこの笑顔を目に焼き付けた。山に戻ったら咲華に伝えなければならないのだから。

「それは、咲華さんもきっと喜ぶ。まだとても精霊として現れることなんてできない樹齢だけれど、ご家族の事を伝えるといつも心なしか木に元気が出るように感じるから」

 染の言葉に母親の笑顔はさらに広がった。

「会いたいわ。いつか、会いたい。さっちゃんの木に」

「それは・・・。前も言ったけれど、我々の地は人が侵入することをとても嫌うので」

「ええ、そうね。だからいつも花びらだけなのよね・・・」

 母親はうつむいた。表情は見えないが、顔が曇っているだろうことはわかる。

 染はすっと立ち上がり、いとまを告げた。

 



<4-1>に続く
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