茂木くんと加藤先生のその後。
前作→デッサン
2016-12-30 20:25
サンタクロース
サンタクロース
ダイニングテーブルには広げたままのスケッチブックが、水彩の空を映していた。
白いページのまん中に四角く切り取られた空。空の色とわずかな雲だけなのに、その景色はれっきとした空として存在している。
テーブルに空いた四角い穴から、地球を見降ろしているような心地がした。
それは彼女がいつもTwitterに送りつけてくる無言の空の写真と似ていた。
これから淡いグリーンに変わりそうな透明な黄色と、抜けるような青がグラデーションでひとつながりになっている。
光を弱めて群青に変わった空が、白い縁に切り取られるように終わっていた。
画用紙の端で、絵具が水っぽい丸い跡を残して乾いていた。
―――――
―――
―
ひとり暮らしの女性の家に上がるなんて、約束した日から落ち着かなかった。
2年の付き合いの中で、ようやく飼い慣らせてきた。
そういう男の性を知らないのか、知ってておもしろがってるのか。彼女のことだから後者だとは思うけど、考えることが時々わからなくなる。
逆に、よくわかったこともある。彼女はとても不器用だということだ。
だから絵を描き、写真を撮る。
はっきりと言えなくて、まわりくどいから、時に皮肉のように聞こえてしまう。
戸惑って、気まずくなることもあった。でもいつも話をして、また手をつないできた。そしてまた、ぶつかる。
「約束してたじゃん」
「すぐ切りあげて行くから!ごめん!」
「……」
「幹事がドタキャンしたんだよ。ただの同じ専攻の飲み会だからさ」
「……」
「な?」
「女の子いるの?」
「まぁ何人かはいるけど…」
「いいよ、行けばいいじゃん。そっちのほうが楽しいよきっと」
彼女が拗ねたまま切れた電話が、最後になっていた。LINEも止まったまま。
もっと頭を冷やせていたら、あのあと声をあげて乱暴な切り方はしなかった。逆ギレして突き放すのはいつも俺のほうだ。子どもなんだろう、俺は。
そもそも、忘年会の幹事は涼太がやることになっていた。
なのにいきなり「俺は彼女が…」とか言いだしやがって、俺に幹事がまわってきた。
そうでもしなければ、俺まで恋人を取りたがって、参加者がどんどん減っていくし、頼まれたことを断れない俺の性をよくわかっているのだ。
ヘンに頭のキレるやつらだ。暇なやつ他にもいただろ。パワハラだ。その賢い脳みそを研究に使え!
そもそも俺が最初から幹事だったら、いくら彼女と別れるかもしれないとヤケクソになったからって24日なんかに飲み会セッティングしねぇし!おまえのカレンダー宇宙暦か!
それでも彼女と過ごす望みを捨てたわけではなく、最寄り駅まで検索を表示させたアプリを起動させたままにしてカウントダウンを見守っていた。
鍋で作った締めのラーメンの味など覚えていない。
居酒屋を出た後、そのままカラオケに行くという酔っ払いたちを振り切り、事情を最もよくわかっている武藤に任せ、俺は電車に飛び乗った。
走り出した静かな電車内は意外に席が埋まっていて、サラリーマン達がぐったりと目を閉じてシートに身をうずめていた。
こんなお祭りみたいな日も働いてる人がいる。
「そのうち社会の奴隷になるんだから今のうちだぞ」と同級生が口をそろえて言う。
ハメを外して飲んでみたり、朝までカラオケしてみたり、カイワレ大根育ててみたり、バカなことをいろいろ試してみたり。
やりたいことはたくさんある。でも俺にも、今しかできない今がある。
駅前のショッピングモールはもちろん閉まっていて、コンビニとファストフードの店だけが元気に光っていた。
イブの一日を終えてクリスマス気分に飽きた店舗の軒先は、もう門松と鏡餅の飾りを掛けている。
頬を切る空気は、鋭く尖っていて痛い。
歩けば歩くほど、浮きたった街の喧騒を夜空が深く深く吸い込んだように静かになっていった。
道を急ぐ足音だけがコツコツと進む。
学校はこんなに遅くはならないだろうけれど、残業して帰る彼女はいつもこうして歩いてるんだ。
早く会いたい。喧嘩しても会いたいと思う。
気まずさを一緒に過ごせたら、もっと強く手をつなげるとわかったから。
LINEやメールでは伝えきれないことを取りこぼしちゃいけない。彼女はそこにしか居ない。
付き合ってわかったのは、多分そういうことだ。
来る途中にカバンに入れたことを何度も確かめたプレゼントは、待ちきれなくて、この状況を気取ってみたくて、カバンから出してずっとその小さな紙袋を握りしめていた。
指輪。
身の丈にあった良いものを、探し続けてやっと見つけた。渡し方も考えた。
年上と付き合うというのはちょっと気を抜くとガキっぽい一面を見せてしまいそうで、踵を浮かせて背伸びするみたいになる。
ちょっとした憧れもあった。こういう考えがガキっぽいのかな。
でも、欲しかったんだ。おそろいのリング。これが今の俺にできる精一杯。
合鍵で静かに中に入る。忍び足で廊下を進み、キッチンの電気を付け、途中で買ったミネラルウォーターをコップに注いで飲み、ほおとため息をついた。
横の壁にかかった時計は、0:42。急ぎすぎて終電の何本か手前で帰ってこられた。
とはいえ、彼女はもう眠ってしまったらしい。
待っていたのは、テーブルの上のデッサン。
いつもの習慣。
弛まないことだよ、茂木くん。
テレビの横の小さなクリスマスツリーが、暗がりから光もせずにじっと俺を見ている。
クリスマスツリーは、去年俺が来るから初めて買ったのだと言っていた。それまで興味がなくて、友達を呼んだ年も置かなかったらしい。
彼女はちょっと変わっている。普通のことが大嫌いだ。
まず自分の感覚を信じてから、その次に一般的な価値観でものを見る。
そのくせすごく繊細で、寂しがり屋。好きな人にだって気持ちをうまく伝えることができない。
ベッドルームのドアをそーっと開けると、布団にくるまった後ろ姿。
窓の方にまわりこんで、彼女の正面にしゃがんだ。
おお。寝てる寝てる。
鼻まですっぽりと布団をかぶっている。
しばらく様子を見ていたが、冬至を過ぎたばかりの寒い夜に手腕を投げ出して寝ることはないよな…
スタンバイしたプレゼント。あとは渡すだけ。
さて、どうするか。
起こしたいんだか、寝かせておきたいんだか、自分でもわからない。
本当は伝えるのが怖い。
聞いてくれなくていい。ひとり言みたいに話しかける。
「玲奈」
出迎えてくれたデッサンは、彼女のひとりごとだ。
今日は天気がよかった。
今日は天気がよかった。
空が広くて高くて、終わりのない青にオレンジの夕陽が輝いていた。
彼女もそれを見たのだろう。この西の空がよく見えるベランダから。
彼女の目を通すと、いつも見ている空がまるっきし違う、意味のあるものに見える。
大切な人の隣にいたい。そんな、普通の一日を過ごしたかっただけなんだ。
だからあんなに拗ねたことを言った。あれは一生懸命な甘えだったんだ。
いつも頼れる存在が見せた脆さが、愛しく思えた。
「ひとりにして、ごめん」
暗い部屋が声を吸い込んだ。耳鳴りがするほど静かだった。
肝心な時、いつも彼女をおいてけぼりにしてしまう。
なんでいつも俺は!こうなんだ!酒の酔いと疲労感が手伝って、呟いた言葉をくり返して叫び出したかった。
しゃがんだ姿勢でよろめいて手を突くと、くたりと倒れていた紙袋の角が食い込んだ。痛ぇ。
手に持っていた指輪を落として見失いそうになると、息を飲んだ音が重なった。
布団に隠れた奥のほうから、眠たそうな声が聞こえた。
「しのぶ?」
「手、出して」
止まらないように、言葉を繋げた。
外から帰ってきたばかりの俺の手はお世辞にも温かくはなかったし、彼女のほうが布団の中で火照っていた。
一瞬寒さにすぼめようとした手首を掴んで、両手で包んだ。
怖い。新しい今を切り開く時はいつもそう思う。
でも、ここまできた。
指輪を選んで、手に入れて、押し付けられた幹事をこなして、終電を逃さずに、ここに来た。
自分の使命を見失わないように、指輪を指の先に持ち直した。暗い部屋でもそのシルバーはきちんと見える。
「なに?」と眠たそうにつぶやく。
夢うつつの眼は、俺と、手の先を交互にじっと見ていた。
よかった、ぴったりだ。
「プレゼント。遅くなっちゃったけど」
彼女の細い薬指に指輪がはまる光景は、彼女の眼にどう映っているんだろう。
鼻から下は布団にうもれていて、どんな表情をしているのかわからない。
彼女は指に収まったシルバーが何なのか、あまり理解できてなさそうだった。
そりゃそうだ。1分前まで眠っていたんだ。現実が速すぎる。
「明日からも、一緒にいてくれる?」
訊ねると、布団から両方の手が伸びてきた。
ゆっくりと布のすれる音と、腕と、体温。
俺がいることを確かめるみたいに、肩に触れて、俺の首に絡みついた。
俺がいることを確かめるみたいに、肩に触れて、俺の首に絡みついた。
伸びをするように全身で呼吸をすると、ネコみたいに首筋におでこをよせてきた。
「サンタに起こされた」
いつものシャンプーの匂いがかすかにした。あたたかい。
寝起きで息の遅い声が聞こえてきた。「バカ」
「ごめん」
「ずるい」
「ごめんな」
「安眠妨害」
「ひでぇサンタだな」
笑えた。確かにひどい。
肩がだんだん重くなってきて、彼女の身体の力が抜けてきたことが分かった。
ベッドの縁から乗り出している上半身を、ベッドに戻して布団をかける。
「夢じゃない?」
「夢じゃないよ、ほら」
首を解放してくれた手の先を握るようにして、指輪の存在をもう一度確かめる。
玲奈も真似をして、自分の指先に触れる。枕元のプレゼントを確かめる、子どもみたいだ。
ほらね。ちゃんと、柔らかい指に。
「帰らないでね」
「帰らないよ。ずっと一緒に居る」
「うん」
眼を細めて微笑んだ彼女は、そのまままた夢の中に戻っていった。
明日も晴れるといい。冬の空はふたりで眺めるのにちょうどいいから。
おわり
※
今年はかつてないペースで月1更新(平均すればね!)の目標をなんとかやってこれました。
おわり
※
今年はかつてないペースで月1更新(平均すればね!)の目標をなんとかやってこれました。
こんな拙い物物を楽しみにしてくださる方のおかげで、調子に乗りいろいろ書いてみると、手がほくほくして もっと書きたくなります。そうやって何かを作り続けることは、私にとってとても良いことです。
今年一年、ありがとうございました。来年も頑張りますのでどうぞよろしくお願いします。
ブログの主より
今年一年、ありがとうございました。来年も頑張りますのでどうぞよろしくお願いします。
ブログの主より
コメントする
カテゴリー
プロフィール
カレンダー
アーカイブ
- 2020年5月(1)
- 2019年9月(1)
- 2018年6月(1)
- 2018年5月(1)
- 2018年4月(1)
- 2018年3月(1)
- 2018年1月(1)
- 2017年9月(1)
- 2017年5月(1)
- 2017年4月(1)
- 2017年2月(1)
- 2016年12月(1)
- 2016年11月(1)
- 2016年9月(2)
- 2016年7月(1)
- 2016年5月(1)
- 2014年4月(1)
- 2014年3月(2)
- 2014年1月(1)
- 2013年12月(1)
- 2013年9月(1)
- 2013年7月(2)
- 2013年5月(2)
- 2013年2月(1)
- 2012年12月(1)
- 2012年11月(1)
- 2012年9月(2)
- 2012年8月(5)
- 2012年7月(1)
- 2012年6月(1)
- 2012年5月(2)
- 2012年4月(4)
- 2012年3月(2)
- 2012年2月(1)
- 2012年1月(1)
- 2011年12月(3)
- 2011年11月(1)
- 2011年10月(3)
- 2011年8月(2)
- 2011年7月(1)
- 2011年6月(2)
- 2011年5月(6)