話題:死刑制度について
本当すいません。
久しぶりにかなり放置してしまいましたね;
またちゃんと書いていかねば。
で、久しぶりな記事なのにこんな暗い内容で申し訳ない;
と言うのも、最近刑場が公開されて話題になっていますからね。
家族ともこの話題について議論って程でもないけど、喋ったので少しここに私の考えを書き留めて置こうかと思います。
この刑場公開は市民レベルでの議論の材料としてはいいものだと思います。
刑罰とは、どうあるべきか。
mixiにも同じ様なニュース記事があって、それに関する日記が多数あり関心の高さが伺えました。
只、そのニュース記事や報道のされ方が、死刑反対論者の思惑が見え隠れして不快でした。
因みに私は死刑肯定派です。
この死刑囚が、元々死刑相当の罪を犯していると言うのを忘れないで欲しい。
日本はよほどの事がない限り死刑までいかない。人一人殺しても死刑にはならない。
そんな日本で死刑を求刑されるのはよほどの事だと思う。
無差別殺人、強姦殺人、強盗殺人、等々。
実際に起きてしまった事件で言えば、私が直ぐに出せるのは、秋葉原無差別殺傷事件や大阪の池田小児童殺傷事件等。
日本で死刑相当の事件と言えば、確実に2.3人以上殺している。
反対論者は「犯人を殺しても被害者は帰ってこない。」とか更正の道を云々言い出して来ますが、そもそも更正の余地もないと判断されたから、死刑を求刑されるのでは?
被害者遺族は犯人の更正なんて求めてないでしょ。
遺族が犯人に対してある感情は憎しみしかないと思う。
戦争じゃないんだから。
死刑執行は三人の方が3つのボタンを同時に押す形だそう。
精神的負担の軽減だと言う事だ。
反対論者の中にもこの執行者の負担を考えて無くすべきだと言う方もいるが、そもそも知らないで選ばれる可能性のある職種には普通就かないと思う。
覚悟の上でその職業についたと思う。
それにそこまで言うなら被害者遺族に執行させればいいと思う。
実際ボタンを押させて欲しいと言う遺族もいると言う話だ。
多分遺族は大切な人殺された、悲しみや憎しみの方が上回っていて、死刑囚とは言え命です。その命と言う名の十字架を背負う事は問題ではないのでしょう。そう見えます。
公開された刑場が、以外にしっかりした設備の綺麗な場所で驚きました。
そして、執行に至るまでの手順が丁寧で落ち着いたものだと言うのも、若干驚きました。
前もっての告知、家族との最後の挨拶、自らが信仰する宗教での祈り、そして自らの死を厳粛に見守る立会人。
そして一瞬の死。
絞首刑ですが、落下する勢いで脊髄骨折するみたいで即死に近い死刑みたいです。
それを聞いた時、私は不満や不快した出て来なかったです。
この死刑囚に殺された方たちは、この様な死に方を決して一つもされていないからです。
この絞首刑が残酷なら、殺された方たちは一体どれ程残酷で残虐で惨い死に方だったんでしょう。
ある方は、死と言う本能的な恐怖を味わう事なく亡くなります。
死刑は国が法の名の元に行う殺人だ、と言うけど、自分の欲と言う名の意思と力での殺人と死刑が一緒と言うのは、亡くなった被害者からみたらどう思うのでしょう。
私なら憤ります。
死刑と言う刑罰は何百年何千年も前からある、人間が生きる為に人間が生み出した、戒律と言う名の知恵でしょう?
人間は愚かなので、あまり学習しないけど。
人が人を裁くのはおこがましいと言うけど、そうかな。
人が犯した罪だからこそ人が生み出した法の元、人が裁くんでしょ。
人を裁けるのは、同じ人か神だけだよ。
死刑は決して軽い物じゃない。命が消える場所だもの。
だからこそ、人間と言う傲慢な生き物には必要な罰だと思う。
犯人が死んだからと言って被害者は生き返らない。命と言う尊いものを消しても無意味だと言うけど、そんなの犯人が死のうが生きていようが関係ない。
人が人を殺した時から生まれる抗いようのないものを背負う。
そんな事被害者遺族は当に承知の上だと思う。
それでも死刑を求刑するのは、そうでもしないと気持ちの整理がつかないんだと思う。
それをきっかけにして、大切な人を亡くした人生の一歩を踏み出したいんだと思う。
死刑を亡くしたいなら、それ相当の刑罰を考えるべきだと思う。
人生が狂うのは何も被害者遺族だけじゃない。
加害者家族も同じだ。
死刑が無い国にはちゃんとそれ相当の刑罰がある。
抑止力になっていないからと言って、無くしても変わらない。寧ろ増える気がする。
そもそも、根本的にそんな日本で死刑に なる様な犯罪をしなきゃいい話じゃない。
その根絶させる為の活動の方が先じゃない?
難しい問題だけど、私は今の状態じゃ現状維持が妥当だと思う。