2月の前に。
うつ病になりました。
正式にうつ病という訳ではないですが(詳細は後述)、でもそんな感じです。なので、精神的に健康な方には、理解できない部分が多々あるのではないかと思います。
ここまで読んで、またこのあと読み進めて、ああこれは無理だな、と思われましたら閲覧を控えていただけますと幸いです。
今現在は治療を進めていることもあり、大分通常の状態に近く、それなりに普通に過ごせています。何なら、仕事でのことが原因なので労災申請でもしようかとも思うくらいには。(どうせ認められませんが)
ただ、今回記述しようとしている2月にお会いした時は私が本当に酷い状態でしたので、内容もそれなりのものになっています。ですので、そういう内容が不快に思われる場合、今回の記事は特に閲覧を控えていただけたらと思います。
現在は回復に向かっておりますので、おそらく今後はここまでの内容にはならないかと思われます。
さて、その原因のお話です。
1月末に出雲さんの前で泣いてしまう程、出雲さんに会う直前に仕事でかなりのストレスがありました。いわゆるパワハラ(モラハラも)です。それも経営者の。(その経営者は自己愛性パーソナリティ障害の疑いがあり、ネット等で調べるとほぼその特徴が合致します)まぁ、何なら昨年の夏から継続的に同じ人によるストレスは続いていたのですが、そういうのを引っくるめて、もう許せない! 無理!! という風になったのが1月下旬のことでした。
それでも出雲さんに会って、少し気持ちが落ち着いたと思いました。次に会うのを楽しみに、それまでまた頑張ろう。そう思った直後のことです。
1月末、自分の味覚障害が発覚しました。
和菓子をたべたときに味がせず、おかしいなと気付き砂糖を舐めたら味がしませんでした。おそらく、1月に出雲さんとお会いした時点ですでに発症していたと思いますが、どうやら甘味だけがわからないようで、すぐには気づけませんでした。とりあえず病院に行って血液検査を受けるも異常はありません。あと考えられる原因は、何らかの脳の障害か、もしくはストレスによるものではないかとのこと。ストレスに関しては思い当たる節があると伝えると、心療内科を進められました。
心療内科では、味覚障害の原因はパワハラによるストレスで、ほぼ間違いないだろうということを言われました。ただ、目に見えるものではないためその因果関係をはっきりと示せる訳ではありません。示せれば即座に労災申請出来たのに……。その日から、サインバルタといううつ病の治療薬を飲むことになりました。
出雲さんには、味覚障害のことも、うつ病のことも、どちらも黙っていました。2月終わりには出雲さんの大切な舞台があり、それの邪魔をしてはいけない。というのを言い訳に、逃げていました。どんな返事が来るのか、また自分の情けない姿を見て欲しくもなく、心配をかけるのも嫌で、言いたくなくて。人には大切な事は言ってくださいと言いながら、怖がって自分は言いませんでした。
うつ病に関しては、実際その病名で診断を受けた訳ではありません。おそらく、「私は病気なのですか、病名は何ですか」というような問いをすれば何かしら返答はあるのでしょうが、そこをはっきりさせないのは、これも怖いからです。
不眠とかはないです。食欲がないのと、気分が落ち込む事が多いのと。ですが、後者に関しては人前であれば普通に振る舞う事ができますから、まだ軽度であるということでしょう。病名がつかない、予備軍のようなものかもしれません。でも、病名がつく可能性もあるので聞きたくない。否定の言葉は欲しいけど、肯定の言葉はいらないのです。であれば、聞いていないだけであっても「実際にそう診断を受けた訳ではない」にとどめておきたいのです。
とはいえ、言わなくてはいけないことだとはわかっています。
出雲さんもいい年です。結婚を考えられる相手とお付き合いをした方がいいでしょう。となった時に、自分が、少なくとも今の自分の状態では、その相手としては相応しくないのは明らか。私はそう思って、振られる事もある程度覚悟しつつ、出雲さんにどのように伝えるか、を1月末から約三週間、ずっと考え続けておりました。
そうして、2月になりました。
話題:うつ病
迎えた2月。
出雲さんは舞台のため、バスで東京へ行き、そのまま会場へ直行しました。お会いする前に、舞台のあと時間があれば会いましょうというお話をしていました。舞台は良かったです。が、内容等は割愛します。
公演終了後、役者さん達がお見送りに入口付近まで出て来てくださっていました。私は一部、1月にお会いしている方達がいましたので、客席から出てすぐに顔がばれていて。
出て来たお客さんは勿論皆さん見るのでしょうが、それが仲間である出雲さんの彼女ですので余計に注目を浴び、あ、とか、出雲さん! とか、そういった声をいくらか聞きました。
出雲さんにお話しなければいけないこと、どういった返事があるのか、というのを来るまでずっと考えていました。が、実際に出雲さんが一生懸命頑張っているのを見たら余計に、こんな自分がそばにいてはいけないと思う気持ちが強くなりました。
そして注目を浴びた途端に頭が真っ白になりました。何故か、早くここから逃げなければ、という意識が働いて。
下を向いて出雲さんの顔も見ずにとりあえずそばに行き、「お疲れ様でしたありがとうございました」と早口で伝え、とにかく一刻も早く出たくて出口へ向かいました。その時に、やはり1月にお話しした男の方がとても丁寧にありがとうございました、等の言葉をかけてくださったのに、それにも冷たい返答のみでろくな挨拶も出来ませんでした。
いそいで靴を履いて出ようとしたところで出雲さんが後ろに寄って来てくれて、「わざわざありがとうございました。気をつけて帰ってください」と。
あれ、会うんじゃなかったですか、と思ったのは言葉にせず、「はいありがとうございました」とだけ返事をして、建物から逃げました。
建物から出た後は、もう理由はごちゃごちゃしてはっきりとわかりませんが、とにかく涙が止まりませんでした。
自分が情けない、惨めだと思いました。どうしてこんなことになったのかとも思いました。来るんじゃなかったとも後悔しました。
家でも会社でも、友達の前でもどこでも、大丈夫です平気なんですと口癖のように言ってきました。でも本当は、少しも大丈夫じゃなかったです。
ずっと泣きたかった。声を上げて思い切り、とにかく泣きたかった。
そこは、私がどういう人間なのか、私のことを誰も知らない場所でした。誰かが大丈夫ですか、と近寄って来てくれたとしても、誰ひとり「三沢さんどうしたの」と言って来る人はいない。いつもの私を知らない人の前で「いつも通りの私」でいる必要はありません。だからか、とにかく思い切り泣いていました。
涙も声も止まらず、そんな状態で電車にも乗れず、2月の寒空の下でしばらく泣き続けていました。
少し落ち着くと、ものすごく寒い事に気がつきました。幸いというのか、夜行バスで帰るため膝かけ等防寒具を持っていました。それを使って幾分かましになり、誰もいない公園のベンチで泣いたり泣き止んだりしながら、しばらく空を眺めていました。
ひとしきり泣いてすっきりしたところで、やはり出雲さんには話そうと思いました。舞台が終わったら、となると翌日までお伝えできません。電話もなかなか出来ないとなるとメールになってしまいますが、文字だけでお伝えするには重いなともずっと思っていて。自分が早く解放されたかったのも大きいです。
出雲さんに時間あったら会えませんかとメールして公園で少し待ちましたが、当然お忙しかったようで返信はありません。
泣き止んで落ち着いて、仕方なく帰ろうと駅へ向かいました。
泣きながら歩いていたので、駅の場所がほとんどわかりませんでした。方角のみ、大体こっちの方だと思う、という感覚で。最悪誰かに聞いたら教えてもらえるだろうと思って、とりあえず歩きました。
しばらくして出雲さんから返信があり、無事会っていただけることになりました。
駅でお会いした時、私は完全に迷っていて、見知らぬ人にやっと道を教えて貰えたばかりでした。人に聞けばいいやと思いつつ、通行人がなかなかいないという事態に少し慌てました。
足も冷えきって感覚がなく、出雲さんに会えた時は「助かった!」と思いました(笑)
舞台の話をしばらくして、適当に歩いていたら迷ってしまって、通行人もいなくて、寒くて大変でしたというようなお話は普通にできました。こうやって笑顔でお話出来るのが、本当に幸せだなと心から思いました。電車を待つ間、電車の中でも、手を繋いで頂いたりしながら、温かいな、幸せだなという感覚に浸ってました。
人にあまり聞かれたくないというのもあり、話す場所はどこにしようか考えてました。夜行バスまでの時間、お茶でもしながら過ごそうとお店を探している途中、外を歩きながら言いました。
「私、出雲さんにお伝えしないといけないことがあって」
「なんですか?」
「私、味覚障害になりました」
出雲さんの顔は、少しも見ていません。横に並んで歩いたままで、全く顔を向けられませんでした。でも、驚いていたように思います。
「気づかなかったですが、多分先月お会いした時にはもうなってて。感じないのは甘味だけなので、特に日常生活に影響はないんですけど。血液検査して異常がなくて。あるとしたら脳の異常かストレスかって言われて心療内科に行くことになって。行ったら原因は仕事のストレスでほぼ間違いないだろうと、うつの薬を飲むことになりました」
「……」
「これから自分がどうなっていくかわかりません。今より変な(おかしな)ことになるかもしれません。そんな時が来たら、その、別れを切り出していただいたら」
従いますので、と口にすると同時くらいに、出雲さんが抱き寄せてくれました。
「別れるなんて言いません、そんなことで。そんなに悩んでたなんて、気付けなくてすみません」
気付ける気付けないじゃないです、私が言いませんでした。去年の8月に一度泣いてしまって、その時に出雲さんの本当に心配そうな表情を見たら、もうこの人にこんな顔をしてほしくない、心配をかけちゃいけないと思って。笑顔を浮かべようと決めて、悩んでいると言わなかったのは私です。
それなのにそうやって、優しい言葉をかけていただいて。
少なくとも私は、精神状態に問題がある人と付き合っていくのは難しいと思います。自分がどう接していくか、振る舞うか、言葉のひとつひとつに全て神経を張り巡らさないといけない。勿論普通の状態の人でもそれぞれかとは思いますが、普通以上に気を遣うのに間違いはないですから、きっと疲れてしまうと思うのです。
そこまで考えていないだけかもしれませんが、それでも、この人は本当に、何て優しい人なんだろうとしみじみ思ってしまいました。
そんな話をしながらとりあえずは食事を済ませて。1時間半くらい、お話をしました。
バス乗り場まで送っていただくとき、バレンタインの話になりまして。バレンタイン前に、クール便で出雲さんにチョコをお送りしていたのです。ピエール・マルコリーニの、クールフランボワーズのみ入ったもの。これが私すごく好きだったのです。見た目が完全に真っ赤なハートなので、どうかなと思いつつ。
どうやら気に入っていただけたようでした。見た目よりずっと甘すぎたりくどすぎたりしなくて、美味しかったとのことで安心しました。高いんだろうなと思いました、と言われましたので、素直に、いいチョコですよ!(笑)と。そうしたら、ホワイトデーはどうしよう、楽しみにしていてくださいと少し悩んでいらっしゃるようでした。
手を繋いでいただいて歩いていました。もう寒くて。バス乗り場が近づく頃言ってくださった出雲さんの言葉が、嬉しかったです。
「さっき三沢さん、変になるかもって言ってましたけど」
「……はい」
「大好きです。何かあったら僕に言ってください、愚痴を聞くくらいしか、出来ませんが」
「……ありがとうございます」
はっきりとは言えませんでした。もう泣きそうになってしまって。返事の代わりになればと繋いでいた手の力を強めたら、強く握り返してくださってまた泣きそうに。自分でも自分のことが嫌いになりかけているのに、こんな私でも、好いてくれる人がいる。
本当に、本当に嬉しかったです。
この人に出会えて本当に良かった、私はなんて幸せなんだろう。
心から思いました。
そして、こんな状態を早くどうにかせねば、とも強く思いました。やっぱり、出雲さんとは笑顔で過ごしていたいです。
別れ際に一度だけ、抱き着かせていただきました。次にお会いするまでには、少し期間が長いので。
2月は、私が本当にぼろぼろで、酷い状態でした。
今は薬のおかげもあり、かなり回復しました。でも状況は変わらないので、転職を考えつつ今の職場からは新年度の有給と賞与はせめてもらってやろうと(笑)こんなことも思えますので大丈夫です。この大丈夫は信じてください。今は本気でそう思ってます。仮にこのあと大丈夫じゃないことが起きたら、その時はすぐに自分を守ります。もう2月の私には戻りません。
長々と読んでくださった方、本当にありがとうございました。
3月は京都へ桜を見に旅行の予定でおります!自分もにやにやできる穏やかな記事になる予定です。
よろしければ、またよろしくお願いいたします。
まずは寒さが過ぎて、桜が咲いてくれますように……!!
京都旅行楽しんでくださいね♪
京都に6年住んでいるので、どのあたりを観光されるつもりなのか気になります(笑)
ありがとうございます!
京都は、伏見稲荷に行ってみたいです。
出雲さんは八坂神社と嵐山の竹林を歩きたいそうなので、そちらにも行く予定です。
京都に住まれているのですね、何かオススメの場所とかものとかありますか?
三沢さんお元気ですか?
僕(52才)は大変疲れ果てていますが…
元気です。
仕事…大変そうだな!?
一回仕切り直すのもいいかもよ!!