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ダンベル

いつも部屋のすみっこで泣いているようなこどもでした。
みんなが笑って受け流せるような言葉がいちいち胸につかえて、そんな自分自身が恥ずかしく、ぼくを傷つける言葉を何度も自分にぶつけました。誰かに傷つけられるくらいなら自分の手で傷を負いたかった。

下を向いて、嫌な笑い方をして、人の目をまっすぐに見れないこども。

そんな顔でいたって誰にも好かれるわけがないのに、ずーっとヒーローが助けてくれるのを待っていました。
ヒーローとはつまり父です。

いつだって父は明るい日向にいて、陰で体育座りをしているぼくを連れ出してくれます。

父がいなくては、ぼくは、なにをすればいいのか、どちらを選べば正解なのか、わかりません。

ケシカスみたいな父の残像を手のひらで温めて、もうずーっと泣いています。
ずーっと待ってるのに、ヒーローは助けてくれない。


父の部屋から五キロのダンベルを借りてきました。
これから毎日筋トレをしようかなと。
うすくホコリをかぶったそのダンベルを見て、妹は懐かしみ、姉は苦しそうな顔をしました。

いいよなぁアイ、おまえには母親がいて。
あいつが死んだら、ぼくと同じ顔してくれんの?

思い出3


昔からぼくは早寝早起きです。

夜の2時や3時まで夜更かしをする友人がほとんどなので、「ジジイかっ」とイジられます。

もう体がそう躾られているんですね。
これから社会人になっていくに際して、よくないんじゃあないかなぁとはたまに思います。


小学生のときは10時、中学生のときは夜の11時辺りになると、父がこども部屋に見回りにきました。

そのときにゲームなんかしていたら、舌打ちされて、「はよ布団入らんかい!ガキは寝る時間じゃ」とベットに追い立てられます。

中学生になってからは悪知恵がついて、
見回りの時間に布団に入り、父が一階に下りてから少し夜更かしをしたり。

さぁそろそろくるかな、とぼくはそのときにしていることを中断して、
冷たい布団に飛び込みました。

ぶるっと身震いして、少しでも暖を求めて体を丸め、つま先が氷みたいに冷え切っていることにびっくりしました。

かけ布団を頭までかぶって、
息を詰めて父を待ちます。

しばらくすると、階段を上がる足音と、微かにきぬ擦れの音が聞こえてきます。
父がベットの傍にきてからまずするのは、頭までかぶっていた布団を剥いで、体にかけなおすことです。

冷たい風に鳥肌が立ちます。

首の下まで布団かけられて、顔が出るので、寝ているフリで頭を布団に潜らせるのですが、すぐに戻されます。


その日の父は酔っているようでした。

その日、というのは高校一年生のときです。

(友人に知られたら普通に引かれそうなシチュエーションですが、それがぼくの日常なのです)

父は息を吐きながらこども部屋に来て、いつものように布団をかけ直しました。

ぼくは寝たフリをしていました。

父の皮が厚くて体温の高い手をほっぺに感じました。

酒くさい息が顔にかかるくらい、きっと目を開ければ父の顔はすぐ近くにあったのだと思う。

両手で顔を何度も何度も撫でられました。

その触りかたがあまりにもすげぇ優しくて、悲しくて、いまさら目を開けられなかったんです。

言葉されるよりも強く、父の想いを感じました。


カーテン


〉さきさん

さきさんこんばんは。

本当にさきさんのおっしゃる通りですね。

自分をそうやって肯定できる方のほうが少ないですし、自分では見えていない自分というものがあるのかもしれません。

ぼくが見えていない明るい部分の自分自身も、誰かの中にはいるのかもしれないという、希望をもつことができますね。

壁に記憶を落書きしているような心持ちでいたので、「影響をうけている」とのお言葉、
びっくりして、それからすごくうれしかったです。

ありがとうございます!


父と母を知る人間は、去年の冬に怖い目の色をして言いました。

あんなにも人間がデキた父と母を持っていて、その血が流れているのだから、おまえだってそうなるはず。そうならなければならない。

ずっと怖かったんです。
いつかぼくの出来損ないの部分が露呈して、ひどくがっかりされるのが。


気持ちが陰ると、無意識に南の大きな窓をぼーっと見ています。

窓にはもともと祖母の代からあるかすれた色のカーテンが引かれていて、
そのカーテンでは隠しきれない部分を、星柄の藍色のミニカーテンが補っています。

夜にあかりをつけると中で何をしているのかまる見えになってしまうから、と、父が二、三年前に取り付けたものです。

部屋のどこを見渡しても、父の細やかな気遣いと優しさがあふれていて、胸が塞がります。

風体

思えば昔から、父はふしぎな力のようなものを持っていました。

いつも人がいない店も父が通いはじめると、なぜか繁盛しだすことは知り合い間には有名でした。

父の顧客には、「頼むから甥の店に来てほしい」と逆に頼み込まれるほどです。

ふつうに考えるとありえない話なのでしょうが、ぼくは超現象として受け入れていました。
本当であることを、なにより近くで見ていたから。


また、父は一定の頻度であるうどん屋に通っていました。

そのお店は父の友人が個人経営をしていて、
もともとは父とその友人がふたりで力を合わせてうどん屋を開く約束だったそうです。

以前、約束を破られてメソメソしていたぼくを宥めるように、父は話してくれました。


「おれもなぁ、Mのおっさん…Aちゃんのお父さんに裏切られてな。

○○○(店の名前)、あれ、ほんまは俺とMとでやるゆう話やった。

ふたりでガッコもいった。

けどなんでか、俺が目つけてた土地にさっさと店構えてしもた。

イイ奴やけどな。
好きやけどな。
そんなとこもあんねや」


人は人を裏切るということ。
性善説を信じていたので、その話はやたらせつなかったです。


そのうどん屋は、父が通っている店で唯一、あまり人の入りはよくありません。

おまけに斜め向かいに有名なうどん屋のチェーン店が建ち、いよいよ苦しそうでした。

父はその友人を気にかけているようで、ちょくちょく行っては「斜め向かいのうどん屋のがうまい」とこっそりぼくに耳打ちしました。


父はとにかく老若男女問わず好かれます。

お客さんに好かれすぎて、一時期は毎晩のように連れ回されていました。

そんな父が誇らしい反面、ぼく自身はとりたてて良いところはなくて、
いつか父が取られやしまいかとひやひやしていました。


父は本当に、出来過ぎなくらい出来過ぎた、ふしぎな人だと思う。

父と母を知る人間は口を揃えて言います。

「おまえの父ちゃんと母ちゃんは、ほんまにすばらしい人たちやで。(以下それぞれ、いかに父と母が人間としてデキているのか云々)」

その出来過ぎみたいにすばらしい人間と人間の間に生まれた凡人。


散髪

髪をざっぱりと切ってきました。

一年前は頻繁に散髪に行っていましたが、現在は一年もずるずると伸ばしっぱなしになっていました。

事あるごとに一年前と比較してしまうのは、ぼくの悪い癖です。

思い通りの髪になったことがうれしいのですが、なぜだか胸が痛んでしかたないんです。

散髪屋のあんちゃんは父の同級生です。

彼は始終かなしそうな顔をしていました。
前のように、話し掛けてはきませんでした。


去年だったら仕事途中の父が迎えにきて(この散髪屋さん、父の仕事場の超近くなんです。父は社長なので仕事中でも融通がきくらしい)、一番にぼくを見て、言葉少なに褒めてくれました。

いますぐ父さんと話したい。

父のことを考えると、一瞬だけ底のようなふかい苦しさを感じて、息を止めると少しの間だけしあわせな気持ちになります。

それから一拍遅れて、一番新鮮な絶望感に苛まれます。


明々後日から修学旅行に行ってきます。

父は海の幸がすきです。
だからいっぱいお土産買ってきます。
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