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異普堂々

つくづく自分が普通の人で良かったなって思う。
時々ヤバイ行動とったり頭おかしいこと言ったりしてるけど、結局それらがちょっとハズれた行動だってわかってる。奇を衒ってるだけの、いわば脳みその真ん中は凡夫。ウケ狙い。

じゃあ私が普通じゃないって言ってるのはどんなことだろう。
私、馴れ合いがすごく嫌いなんだよ。だからそれが普通じゃない。

もちろん私にも友達がいて、友達と遊ぶし話す。学校外で遊ぶこともある。私も立派に馴れ合いしてる。
だけど、わかったんだけど、人が慣れあってるサマを見るのがどうも良くない。
例えば友達が友達と遊んでる。別に遊ぶこと自体は良いんだけど、それをアピールするのがすごく嫌だ。どうして私を誘ってくれなかったのかって、少しは思うけど、それ以上に、単純に気持ち悪いなと思う。ツイッターで、○○と遊んだ、だって。それをリツイートして、誰に何をアピールしているんだろう。それを見た私はどういう反応をすればいいのだろう。
誰かと遊んだことを一々不特定多数に公開するのは異常だと思いません?

私はどうも一番になりたいらしい。好きな人の一番に。
だから私の好きな友達が、一番の親友が、他の奴と遊ぶのが、それをひけらかされるのがすごく、イヤだ。
まるで私が一番ではないのだ。

だから、そういう。私は捻くれた奴だから。そういうアピールに対する嫌悪と一番じゃない劣等感が積もって積もって、いよいよ馴れ合いがダメになってしまった。
だって馴れ合わなければ、そもそも一番の仲良しになる可能性さえ生まれないから。

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電子の神様


わたしがその人の存在を知ったのは一年前だった。とあるバンドの絵を描く人だった。絵を見た瞬間、すごく素敵だと思った。特別上手いとかではないんだけど、とにかく、好みの絵だった。
その人は日記をつけていて、わたしはその日記もすごく好きだった。わたしの知っている言葉で紡がれるわたしの知らない人の日常。コンビニのバイトをしていて変な客が来た話、友人との話、飼っているペットのウサギの話。その人の周りは不満が蔓延っていてそれなのにすごく美しかった。
その人はわたしにとっての神様だった。
だから勇気を出した。神様とお近づきになった。嬉しかった。

ある時電話をした。
色々なことを話した。真面目な話もふざけた話も。神様の声は優しくて可愛くて、電子の架空の神なんかでないのが嬉しかった。
「ネットの友達と電話するなんて中々ない」と私が言った時、
「あたしは何人かいますよ、電話する人。四人くらい。でもそのうち三人が嫌です。しつこいんですよ。断っても引かなくて。五時間も六時間も話すし」。

神様の日記にはネットで知り合った友達とのお話の記録があった。電話の後日、二つの日記が書かれた。わたしとの通話記録と、それより前、わたしの知らない数人との数時間に及ぶ電話越しの会話。

先日神様の日記を読んだ。
新しく日記が書かれていた。長い長い日記の内容は数人との会話の記録。“たのしかった”の字を読んだ時に私の中から神様は消えた。
神様は女の子だった。

友達に日記の話をしたらそれはしょうがないよと言われた。また別の友達にも話すと同じ言葉を言われた。そんなもんだろうか。そんなもんだろうな。

今日、神様との連絡手段を絶った。一ヶ月、悩んで悩んだ末の決断だった。すっきりもせず、だからといって悲しくもなかった。残ったのは一ヶ月間の後悔だけで、手段を絶ったところで後悔が消えることはなかった。

神様に近づいたりしなければ神様は神様のままだった。少なくとも私の中では。
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