今日はイースターなんだそうです。
どうぶつの森ではイベントがありました。午前中は家の手伝いと仕事をして午後はのんびりどうぶつの森。
外は雨で寒かったですけど、静かな春の一日になるか、と思ってました。
外を選挙カーが通り過ぎるまでは。
今日は田村市の市長選挙と市議会議員の補欠選挙の告示日だったんです。
とはいえ、ずっと前から市長は現職の市長以外に立候補する人はいないだろうと言われていましたし、市議会議員選挙も無選挙の可能性が高いと聞いていましたから、まさか選挙カーが走るとは思ってませんでした。
今は静かです。
多分、立候補者は無く無選挙が決まっているんじゃないかな、と思います。
明日には新聞とかに出るでしょうから後で確認してみます。
選挙がない、というのは個人的にはあんまりいいことでは無いように思います。
決して富塚市長がどうこうというのではなく。
(いえ、いろいろ思うことはありますがそれでも市長も大変な思いの中震災後頑張ってきているので)
ただより良い市政を行おうという人がもっといてもいいと思うし、何人もが競い合ってその中から選ばれた人というのはやはり違うのではないかな、と思うのです。
また選挙があれば私達も市政を考えるきっかけになると思いますから。
田村市はもっと積極的になっていいと思います。
元警戒区域を抱える被災地でありますが、正直被害は一番少ない地域。
風と山脈に守られて放射能の影響は低く、固いあぶくま山系の地盤に守られ震災被害も少なかった。
被害の大きかった地域を積極的に守り助け、福島復興の牽引役になればいいのに、と思うのは私がお気楽な一市民だからかもしれませんが。
イースターは復活祭。
春の訪れと再生を祝う日。
福島の復興と再生も祈り、願いたいですね。
昨日は今年度の最終日。
年度切り替えで辞める子とのお別れ。
お世話になった方の定年退職もあって見送ったりして、いろいろ忙しかったです。
ブログの更新を忘れて寝ちゃったのは純粋に怠惰ですけど。
今日の仕事で今年度も終わり。
明後日から平成25年度が始まります。
震災直後でいろいろ振り回された平成23年度。
良くも悪くも変わりがなくて、震災後の生活に慣れた平成24年度を経て、平成25年度はどんな年になるでしょうか?
できれば、震災の事は忘れないながらも気にせず、震災前となるべく変わらない生活に戻して行ければいいなあと思います。
夏過ぎには順調ならセシウムの最初の半減期もある筈。
子供達はやっぱり外遊びも好きなので外遊びとか取り入れながら、いろんなことを楽しめるようにしたいです。
来年度も同じ職場にいられることになったので頑張ります!
3月の25日、富岡町と葛尾村の避難区域再編が行われました。
結果どちらも帰還困難、居住制限、避難指示解除準備の3区域に再編されています。
大熊町の南にある富岡町は北の一部が帰還困難地域。
その部分には桜の名所夜ノ森公園も入っています。
葛尾村は田村市の真北。
浪江町に近い一部が帰還困難区域になりました。
その関係で田村市の道路の何か所かにこんな看板が。
村や町が分かたれてしまい、道が途切れてしまうのはやっぱり切ないですね。
明日、引っ越すという友達に何かしたいから。
と子供達に頼まれて、昨日から準備していたことがありました。
牛乳パックで作るビックリ箱。
牛乳パックを3分の1に横切りにして折り紙や紙を貼ります。
それにメッセージを書いて輪ゴムをかけて箱や本に開いて入れます。
そうすると開くとメッセージが飛びだす仕掛け。
10枚以上あるとなかなか綺麗で面白く、お別れする子供や先生へのプレゼントにぴったりです。
そして、今日の帰り、子供達の手からその引っ越す友達にプレゼントされました。
もちろん、子供も保護者も大喜びしてくれました。
でも、子供達にとってはやはり、引っ越しでもう簡単に会えなくなる、ということはピンと来ない様子。
「また明日ね!」
などと言って別れていました。
また明日、はもう無いのだとツッコむことはしませんでしたが。
教師という仕事はさよならをする仕事であるということは昨日も書きました。
一期一会という言葉もあるように、今日、別れた人とまた出会える保証はどこにもありません。
でも、さよならの先にはまた、新しいこんにちわがあるのも事実。
今日の別れの先に、再会のこんにちわでも、新しい友達とのこんにちわでもかまわない。
子供達が笑顔になれる出会いがあることを心から願い、祈りたいと思いました。
子供が
「先生にプレゼント」
とくれたのは可愛い起き上がりこぼしとミスターレッドカウ。
大事にしたいと思います。
明日は小学校の離任式なんだそうです。
学校の先生方も結構異動があるようで、子供達もお花や手紙を準備すると言ってました。
学校勤めや保育士なんて仕事をしていると、別れにはどうしたって慣れなくてはいけません。
毎年子供達を色々な形で送り出すことになりますし、そうして別れた子供達と再会できることは稀です。
時折スーパーで声をかけられたり、何年かして実習や色々な形で出会う事もなくはありませんが、大抵の場合子供達も新しい生活に一生懸命で、幼稚園や保育園など終わったことを振り返っている余裕は無かったりします。
遊びに来るよ〜と言っても来る子は殆どいませんね。
だから、私達は去る子供達になるべく心を残さず、明るく笑って送り出すことが大事なのです。
そして新しい子供達をまたまっ白い心で出迎える。
その繰り返しが子供に携わる仕事をする者の宿命であると思います。
とはいえ、別れの前の切なさはどうしようもないことなのですが…。
震災後は特に避難で引っ越して行った家庭なども多いです。
でも、それとは逆に震災後、会津若松から仕事の関係でこちらに越してきて人事異動でまた戻ることになった人(子供)もいます。
上の命令には逆らえませんが、やっと慣れて楽しんでいた所だというのに残念だなとは思います。
明日が最後の日。
特別な事は何もしませんが、皆で仲良く遊べたらと思っています。
また、再会できる可能性は少ないですが、それでも田村市での生活が、少しでも楽しい思い出となってくれればと願ってやみません。
ふる〜〜い歌ですが「じゃあね」という歌をこの時期いつも思い出します。
4月になれば、悲しみはキラキラした思い出
ステキな輝く思い出が今までも、これからもたくさんできますように…。