人となりなりなりて




誰かに感情を揺さぶられるのが死ぬほど嫌いだ!ってな精神論で私は私の心を守っています、ここで強くならなくては屈して仕舞えばそれこそ虚弱。潰れてくれるな人生流れあってこそだとそう深く感じております。




不信感、不安、貴方の満足に合っていないのならば辞めてしまえ互いのために。貴方のその小さな心臓故のあえて言おう、暴言と!それに傷ついて涙するものあれば笑うものあり。捉え方とは千差万別。それでも目に余るものがありました。




我が子は可愛い、愛おしい。それは我が子であってこそなのを今一度実感した方が良い。集団保育を舐めるなよ。他人に我が子への慈しみを求めるとは横暴横柄傲慢ではないのかしら。それこそ足りない愛情はご自身でどうぞ。世の厳しさを知らないままに大人になった方かしら?






ああ憎い憎い。あの光景が蘇る。我が子は可愛いよ、しかしだよ。4人抱えた私が言うのも何だけれど可愛いからこそ世の中生き抜いてほしいね厳しくも逞しいこの世界。慈しみの心は他人に求められて出てくるものなのか、どこぞのコンビニエンスストアで売ってらっしゃるの?





出せばキリがない不平不満はご自愛下さい。貴方のその感情と共にトイレにでも流しておくんなくたばれ虚弱心。






私のストレスの吐口は誰の目にも止まらない。それでこその安寧ですよろしくどうぞ。








喫煙ほどよくそれなりに





大丈夫だよ、と自分が自分に言っている。依存のその先にあるのは破滅だと。大丈夫、大丈夫だよまだそこには有るものしか無いんだから。私は私を好きでいたらそれでいいじゃないの。翠蒼の目の彼もそう仰っておりました。





塵芥の心境は最早自分にも掴めなくて、目に見えるものでさえもうそこには無いんじゃないかとたくさんの杞憂を抱いている。流れるだけの毎日に積もっていくのは怒りが諦めか性欲か。少しばかり自分を馬鹿にしては調和を図っているのです。




泣き声が聞こえては休まらないよね。それをどうにかしてくれるんじゃなくって?他人の行動をどこまで許せるかが、その人の器だと思うのだけれどいかんせん生活動線上に或る其れ等を私はどうしても許容できない。悲しきかなそれは幼き日のトラウマにございました。




言葉にどれだけ頼ろうと感情がそこになければ受け取れない。その口で言った全てが戯言。私の気分はこれで左右されるのかと肩を落とすばかり。いいえ、私の人生ですので。機嫌は自分で御勘定。







拒否!最も簡単に私の今日を沈ませます。





曰く、波の音はさぞ



その時にしか紡げない言葉たちは沢山あるようで、心境が違えばまた聞こえ方も違うのだと思うのですが。耳障り、とまで言ってしまえば雑音ですがそれはさぞ愛おしい音、でありました。




腕は2本、耳二つ。目の前の命は四つ、やりたいことは無限に溢れ出てくるので有限的な人生では物足りない。時間が過ぎていくのを眺めている時間はあるのに。それでも忙しい忙しいと口ばかりが愚痴を吐く。今しかない今はすぎて仕舞えばもう今ではないのに、だ。大切にするもの、優先するものを履き違えてしまっているのではないかな。



毎晩夢を見ます。それは果たして夢か現かはたまた鬱か。睡眠時間は微々たるものだけれど、いつも妄想想像に終われては意識が遠のいていく感覚をやり過ごす。体に悪いって分かってはいるけれどもどうも思考と行動は比例しないようで。ぐんぐんと伸びた差は一向に縮まらない。



サイコパスの思し召し!
大声で泣き叫ばなければ助けも来ない。想像してごらんよ、壮絶な三連休を。座ることも寝ることも食べることも儘ならない。それを差し置いて!意思表示がなければそれは存在さえも無くなるんですって!もう厭だわ疲れたわ、だからその態度が許せないんですって?誰に育てられた我が儘よ。両手を上げればお手上げ、お分かり?現実は小説より実直なり。





社会からあぶれているんじゃないわよ、食うに浮いてはそこを見下しているの。あなた可笑しいわよって言われたところで気にならない。生まれたその時から「変わった子」ですからね、コンビナート。





スプートニクは夢をみる。
私にも筋肉を教えて頂けないかしら。






最果てにて眠る



夢現とは、夢鬱つらつら。私の考えることと言えば地に足がつかないような、ぷかぷかと地面から二、三センチほど浮いているような、夕飯のおかずが微妙に足りず間食で腹を埋めているような、そんなモドカシイものであります。



人に対しての興味が全くない。訳ではないけれど。無駄な体力を使いたくないばかりに力の出しどころを弁えている。すなわち省エネ体質でありました。ねぇ、そういえばから始まる話に面白さを求めるには少しばかり経験と知識が足りない。



手放せるものはもう手放してきた。ならばここにあるものは全て必要で大切で大事で、私と離れてはいけないものなのだろうか。そうそう、食べ物を無駄にしては神様のなんとやら。



日々やりたいことやるべきことに追われているだけで追おうとはしない。それが夢の真骨頂。こちらから動かねば夢は夢のまま。それが教訓。それさえ頭と体で理解していればこの先の人生も怖くないだろう。恐らくも恐らなくても。



道に落ちている小さな石よりも小さなやる気を無くさないように、見落とさないように。物書きは死んでもものを書く。それで良い、とつぶいて目を閉じるには老衰が良いな。



さあ張り切っていきましょうや〜。




ギシギシ、ギシギシ



心が軋む音哉、私の音か、はたまた目の前でしくしくと感情を押し殺して泣く我が子の胸の音か。我慢なんてこの世に必要なるものか、ましてやこんな幼子に。小野寺、間違いを犯してしまう毎日です。




感情を露わにしてしまえばストレスとやらはかからない。軽い心で吐き出せる暴言の数々を受け止めるのは誰。耳がなければいいのに。そう思わざるを得ない状況で毎日を削って生きております。




容量不足で御免なさいね。器の小ささに頭も胸もお腹も痛む。ややこが2人、どんどこ内側から命を鳴らしながら懸命に息をしている中、私1人が全てを投げ出し楽をしているのかもしれない。




後悔することになっても遅いと、頭でわかってはいるものの、その頭が思考を放棄してしまう。育児とは、子育てとは。母になって未だ3年。しかし目の前で抱える命は四つ。限界に近いものがありました。はて、思考とは如何なものか?




両手を広げて如何に大切なものかを伝え、ただすぎていく日常の中でどれだけ多く笑顔で過ごせるか。それだけ考えていれば良いね、世界情勢なんて切り捨ててしまえ。他人のどうでも良い日常より、愛する我が子の今しかない時間の方が、天秤にかけずとも大切なのは明白。端末を捨てろ、その他は我が子を撫でるためにある。母の使命とはまずそこからでした、反省。



ゆっくりね、焦ってしまっても時間は平等。過ごし方で幸せは決まるということで。本日もお疲れ様でした。






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